午前中はバタバタだったのだが、昼過ぎに母さんに電話をした。
水曜日、義母と二人きりで食事をする件に関してだ。
結論から話すと、こういうことだ。
「やんわりと匂わせるような話し方をしなさい」と。
まだまだこれから旦那とひと悶着あるのに、その前に義母に結果報告するのは違うという話。
そりゃそうだ。
ただ、私としては「方向性の違い」くらいの話はしようと思っている。
母さんにこっぴどく言われたことがある。
それは、アンタが悪いのよ、ということだ。
昭和の女は、一歩間違えれば都合のいい女。
私は、旦那にとって都合のいい女になっているという話。
確かにそう考えたら、こうなってしまったのは私の責任。
まとまった生活費をもらえなくとも、自分で遣り繰りして、古着で満足してしまうところ。
そういうところが、ナメられるとのこと。
再びダメ男を引き寄せないように、今から変わる練習をしなさいと。
確かに私は昭和の女。
よく言えば古風。
悪く言えば、考え方が古臭いのかも知れない。
特に言われたのは、古着で満足する女なんていないわよ!ということだった。
しかし、古着を買ってくれるだけマシだと思っていた。
美容室へ行く金も出してくれないのは、最初ははてなマークだったが、自分で行くようになった私が悪い。
自分のことは自分で済ませ、旦那に財布を握らせたのはこの私。
だから私のせいでこうなったのだ。
この性質を変えない限り、また他の男と一緒になっても「旦那二号」みたいな男にしてしまう恐れもある。
今のうちによくよく考えた方がいいかも知れない。
しかし、傍から見れば私の古風なところは、評価される場合もある。
私としては、相手に幸せを味わって欲しくてやっていること。
それなのに結果的には男を駄目にしてしまうのなら、これからは私が主導権を握り、多少厳しくするくらいの方が上手く行くのかも知れない。
その辺、どちらが主導権を握ることになるかは見極める必要がある。
とかなんとか言っているが、全てはきっともう決められていること。
天の導きに乗れるか乗れないかは、私次第。
フットワークだけは軽いのだが、乗り間違えることもあるので気を付けなければならない。
流れに身を任せるしかないんだろう。
私はダメ男とばかり付き合ってきた経緯がある。
ところがそれは私のせいだと言えば合点が行く。
私からすると、私ごときを好きになってくれた奇特な人。
母性本能が働き、ついつい優しくしてしまう。
でもさ、その間その男達は幸せだったんじゃないのか?って思う。
別れ方は残酷な部分もあったかも知れないが、一緒にいる間は幸せだったのでは?
たぶんこれを言ったら本末転倒。
言ってはならないことかも知れないけれども、男を幸せにしてあげた女はどれだけいるのだろうか。
母さんだって、父さんを幸せにできていないはずだ。
幸せに関して言えば、全責任は男にあるみたいな世の中だが、そうじゃないだろう。
何事もフィフティフィフティ。
ということは、不幸になった女にも原因があるってこと。
悪いが、私は数年間だけでもいいから幸せを味わうぞ!
結局、全ては自己責任。
旦那と上手く行かなかったのは、旦那が悪いのではなく私に非があるということだ。
だけど旦那にとって幸せな三年間を過ごした自負はある。
別れ方は残酷。
それも含めて、私。
笑顔でサヨナラ、でも泣きながらサヨナラするのがベスト。
私は誰かの助手席に座っていて、きっと泣いている。
けれども引越してしまえば、笑っていることだろう。
仮に三日三晩泣いたとしても、別れた方が良い。
あとは私が都合のいい女にならなけりゃいいだけ。
それにしても、「都合のいい女」っていう考え方もどうなん?
私ならいい女と思ってしまうけどなぁ。
傍から見たら都合のいい女になるのか?