nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

逃げ道とは

正月とは思えない正月を送っているが、これでいいのだ。

私は一人暮らしがあまりにも長かった。

だから家族で年を越すのは最大の憧れだった。

お節とか、鍋とか、刺身盛り合わせとか、寿司とか、そういうことに無縁だったのだ。

新聞に入っている広告を見ては自分の孤独と照らし合わせて泣きそうな気分になっていた。

ところが、一人暮らしの寂しさも限界に達した時、突如現れたのが今の旦那ということだ。

だけど、騙されたということがハッキリわかった。

もういい。

ジムニーを旦那にあげたりなんかしない。

高値で売って、自分のものにしてやる。

お宝といえば、我が家にはジムニーしかないのだ。

そりゃ、旦那は不便になる。

だけど私を今まで騙してきたことの報いだ。

ここは鬼になってでも、自分の財産としなくては。

本当は愛車を可愛がってくれる人の元へ届けたかったのだけどね。

まぁ、良い。

十万円でも、二十万円でも、金にして私が手切れ金としてもらう。

それでいい。

 

 

そもそも信頼関係など皆無だったのだ。

友人曰く、ジムニーを私名義で買ったのは、借金の「枠」がなかったとのこと。

そういうことかと思ったら、最初から間違っていた結婚だったんだなって。

じゃあ、全然別れてもいいじゃん、みたいなね。

 

「自立した蓮ちゃんと結婚した」

 

これが旦那の口癖だったが、馬鹿にするなって話。

生活費払いたくなかっただけだろうが。

もういい、もういいんだ。

しかし、完全にナメられていた私の気持ちはどうする。

だからジムニーを売るのだ。

私は自由業、苦しい時もあるに決まっている。

そんな時、「大丈夫か?」の一言も無かった。

私が調子のよい時に、贅沢せず取っておいたからこそ遣り繰りできたのだ。

そんな時、いつでも旦那はあっち向いてホイだった。

給料少ないからカツカツなんだろうな、なんて大人しくしていたけれども、なんでそんなに金無いの???

私は自分のこと自分で払っているのに。

何に使っているの???

まるで謎。

過去の借金が積もり積もって首が回らなくなっているとしか思えない。

だからこそ、私が金の話をしたら逆ギレするのだろう。

最後に何て言ってやろうかと思うけれども、「サインして」だけでいいとも思う。

家に荷物さえなければ、サインするだろう。

念のためボディガードでも付けておこうか。

そこまで考えなくていいかも知れないが。

 

 

振り返ってみて、やっぱり悔しい!

それが離婚なんだな。

お互いに涙なみだの離婚なんて存在しないんだな。

そんなことを今更、痛感している。

恨んではいないが、このモヤモヤはずっと残るのだろう。

どこに通帳を隠しているのか知らない。

そんなことはどうでもいい。

だけど何か核心を突き詰めたいような気もする。

こういう時に一番いいのは弁護士。

弁護士を雇う金があるなら、私は事業の運営資金に使いたい。

裁判に持って行けば、五百パーセント以上で勝てると思っている。

ただ、たかが数十万円のことで争うのも阿呆らしいような気もする。

本来なら数百万円取れたのかも知れない。

でも、私はさっさと別れたい。

早く解放されたいのだ。

だからこそ、新年早々(年末から)行動開始している。

この正月は一日一日が長いぞ。

こんなに苦痛な連休はない。

いや、毎回連休は嫌だった。

しかし、家を出て行けるタイミングは今の今まで訪れなかった。

やっと来たタイミングなのだ。

もう今更、可哀想とか無い。

今まで旦那を信じていた私の方が可哀想だ。

 

「自立した蓮ちゃんと結婚した」

 

と、モラハラを言われ虐げられてきた私の方が圧倒的に可哀想だ。

もういいだろ。

これ以上我慢する必要性はない。

むしろ逃げた方がいい。

「逃げる」とは「希望」である。

これはいわゆる私の哲学でもある。

逃げ道を見つけるということは、一種の希望に繋がる。

逃げ道が無いからこそ、人々は極端な選択肢を選んでしまうのである。

でも、人間の究極の逃げ道は「極端」な選択なのではないだろうか。