何かことを成す時簡単な方を選ぶのではなく、緊張を伴う方を選ぶ。
人間には乗り越えられない壁は現れないという。
つまり、これから起きる出来事は、私にとって大したことではないということだ。
それを「勇気」と呼ぶらしい。
簡単に言えば、勇気とは不幸も不合理も受け入れて愛するということ。
だったら今のままでいいじゃないかと思う人がいるかも知れない。
でも決してそうではない。
人生とは、パフォーマンスだと思っている。
自分で志を立て、どれだけ不敵大胆なパフォーマンスを繰り広げられるかだと思っている。
ということは、自分が持っている最大限の能力を発揮できるステージが必要だということだ。
そのステージを変えるだけの話。
ダンスだ。
人生はたった一人でダンスすることに他ならない。
一番上手に踊れるステージを目指す旅こそが、人生である。
「何故、アンタはまだここにいるんだ?」
そう言われる時もある。
私としては、まだここが一番しっくり来ているというだけの話なのだが。
しかし、ここに留まるというわけではない。
羽ばたく時が来たら、私は羽ばたくぞ。
その第一段階のステップが、今回の決断だ。
このままこうしていても、最大限のパフォーマンスは発揮できない。
そう悟ったのだ。
振り返ってみれば、「勇気」の連続だったように思う。
学生時代の家出から始まり、今に至るまで、勇気ある決断を繰り返して来た。
ところが、それを理解できる人はなかなか現れなかった。
薄情だの、忍耐に欠けるなど、散々な言われようだった。
しかし、たった四十二年間で学んだものがある。
勝手なことが言える人は、他人事なのだ。
自分のことのように想ってくれている人に限って、生半可なことは言わないものだ。
もしくは、何もしてやれないとわかっている人は、応援するしか術はないと知っている。
もっと言うならば、見守ることしかできないのだ。
それを世間の下らない常識に当てはめて、非難してくる人と言うのは心配しているからではない。
他人事だから、なんでも言えるだけに過ぎない。
つまり、自分がこうだと思った道を突き進むしかないのである。
仮にたった一人だとしても、成功すればエールは届く。
失敗しても、励ましの言葉が寄せられる。
いやいや、失敗などないだろう。
自分が信じた道が、この世で唯一正しいことなのではないだろうか。
ルールなんてないというのがルールだってチバユウスケも言っていた。
私は極端で不器用な人間だ。
だから極端なやり方でしか、ことを成し遂げられない。
しかし、確実にやり遂げてきた自負はある。
あの時ああしていれば良かった、などと思っていた時期も長くあったが、今となっては全てのことがこれで良かったのである。
実家を出たことも、札幌を出たことも、富山を出たことも、上京したことも、全ては今に繋がっている。
どれかが欠けても今の私はいない。
冒頭に「緊張する道」と書いた。
それを選択することこそが勇気そのものであると。
上手く行くかどうかわからないという道を選ぶということでもある。
周りは心配して、「簡単な道」を教えようとする。
しかし頑固な私は、緊張を伴う方向へ進みたがる。
確かにシンドイし、ハードルは高いのだが、飛び越えられる自信も同時に持っている。
その自信は経験値から来るものだ。
知識ではない。
感性の問題でもある。
私個人的には、人生に何度か訪れる「革命」だと認識している。
この先にも、同様な革命は起こるかも知れない。
それでいい。
だって人生はダンス。
最高のパフォーマンスを発揮できるステージを目指す旅なのだから。