nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

衰退して行く人

引越し当日に、大事な用事が入った。

執行社長というお世話になっている方にお会いするタイミングを神様は私に与えてくださった。

その日、朝から引越しや買い物を済ませ、執行社長のオフィスへ行く。

そして、その足で旦那とファミレスで話をすることにする。

夕方以降のファミレスは混んでいると予想されるが、なんとか旦那より早めに着いて席を確保したいところだ。

何故、ファミレスで離婚話をするかというと、二人っきりで密室で会うのは避けた方が良いとアドバイスをもらったからだ。

ファミレスなら大きな声は出せないし、暴力を振るうこともできないからだ。

執行社長には、一連の流れを聴いてもらってアドバイスを戴こうと思っている。

執行社長なら、私の考え方や生き方について背中を押してくれることだろう。

と言いつつ、かなり緊張している。

上手く話せればいいのだが、なんせ口下手なもので。

きっと震えながら、お話をさせて頂くことになるだろう。

つまり、その日は私にとって激動の一日となるわけだ。

腹は据わっている。

とはいえ不安を抱えていないわけではない。

寂しさはゼロだ。

何故なら、新しい生活が楽しみだからだ。

先のことに関する不安はない。

修羅場さえ上手く潜り抜けられれば、あとは何の問題もない。

不便さは、丸ごと楽しもうと思っている。

一つ一つ形にして行けばいいだけだ。

 

 

両親には申し訳ないが、事後報告になる。

新居で落ち着いたら、ハガキでも書いて新住所を知らせるつもりだ。

ビックリして突然埼玉県まで来るかも知れないが、今の私には両親からの説教に付き合っている精神的余裕がない。

生活が整ってから、ハガキだ。

万が一、離婚に苦戦したら父親に来てもらうことはあるかも知れない。

他に第三者になってくれる人がいればいいのだが。

できることなら誰にも迷惑を掛けない形で別れたい。

そうも行かないのだろうか。

 

 

本来であれば人間には幸も不幸もないように感じていた。

しかし、やっぱり残された方は途方に暮れ、立ち直るのに時間が掛かるかも知れない。

出て行く方は目標があるから、精神的に上向きなのだ。

そうすると、残された方が不幸の類に入ってしまうかも知れない。

不幸になったのは、自業自得。

私がこれから苦労しなければならないのも自業自得。

そこから脱却するのは自分自身の力でしかない。

旦那はもしかしたら、そんなエネルギーや思考を持ち合せていないかも知れない。

私のことを責め続け、自分を棚に上げ、せせこましく生きて行くのかも知れない。

それは私の心配することではない。

何故なら、それ程愛されていた実感がないからだ。

私としては、多少の「ゴメンね」を持っているだけに過ぎない。

人生において、革命を起こしたければ、犠牲になる者が必ず現れる。

誰かが浮けば、誰かが沈む。

要は、分裂したということ。

そもそも書いたものを見られたくない関係性なんて、長続きするわけがない。

私が求めているものは、最後の最後まで読み続けてくれる読者。

毎日楽しみにしてくれるような、そんな人。

恐らく、これから出会う人が変わって行くだろう。

それでも古き良き仲間は今までと変わらず大事にしたい。

 

 

世の中には色んな人がいて、愛だの恋だの知らない人もいるのだと思う。

信頼とは何か、愛するとは何か、そういうことを学んでこなかった人が僅かな確率でいるのだということを結婚して初めて知った。

自分のことしか考えていない現代人の典型を見たようだ。

わかり易く言えば、自己中心的。

そういう人は衰退して行くようになっているのかも知れない。

なかなか難しいが、自分のために生きるのではなく、誰かのために生きることが重要だ。

それができる人は幸せに暮らしているというのも知っている。

私にとって誰かとは読者に他ならないのだが、目に見えない存在なので何を求めているかわからずに愛しきれていない感もあるけどね。

それでも目に見えない読者を信じている。