nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

天命を知るということ

一日掛かりで『ロックンローラー』の編集をした後、飲みに行きたい気持ちを必死に堪えて電車に乗った。

金を使いすぎてはいけないのと、遊びクセがついては困るからだ。

ましてや、飲みに行ってしまえば帰宅が遅くなり、また寝る時間を削らなければならなくなる。

翌日早く起きて神経内科へ行かなければならないというのもデカい。

そんなこんなで、駅前のスーパーに寄ってイワシの刺身と茶碗蒸しを買って自宅で缶ビールを飲み、風呂に入る前にこれを書いている。

とても良い編集作業ができたので、話し合った結果を作品に反映させなければならない。

依頼を受けているホームページも作らなくてはならない。

だから直帰して正解だった。

ましてや、風邪をひいて治りかけ。

ただ新宿から自宅に直帰するだけのことなのに、これほど自制心を働かせなければならないなんて。

やはり、自由というものは恐ろしいものである。

こんなんで、私はこれから一人でやって行けるのだろうか?

 

 

そんな不安に襲われているものの、一人で飲むビールもまた美味い。

迂闊なことに、氷を作るのを忘れていたので、赤ワインを戴き物のタンブラーで飲んでいる。

離婚届は月曜日届けに行くことにした。

転入届やマイナンバーカードの更新、国民健康保険の加入などやることは沢山ある。

免許証の書き換えのために、住民票ももらってこなくてはならない。

ロックンローラー』の編集に時間を使いたいのだが、やることやってしまわないと。

 

 

それにしても退屈っていうのは非常に恐ろしく危険なものである。

特に私などは退屈に弱い。

退屈だと、どこまでも自堕落になってしまう。

毎日この文章を書くと自分に課していることは、色んな意味でストッパーになっている。

酒を飲みすぎたら書けなくなるし、次の日起きられなかったら早朝に投稿をアップできない。

私みたいに意志の弱い人間には、何かを課すくらいでちょうどいいのだ。

退屈っていうのは、刺激を求めてしまうものだ。

具体的に例を挙げるならば、例えば退屈な男ほど面白い女にハマってしまったりする。

逆も然りだ。

相思相愛になれればいいのだが、これがまた一筋縄では行かないのだ。

仕事が大好きな人間こそ、「何のために」っていうものが必要になる。

私の場合は至ってシンプル。

書くということに全エネルギーを注ぐのは楽しみにしてくれている人のため。

私にとっては何よりも読者が大事。

これはもう何度も言っている話。

だから、書き続ける限り、本物の退屈はやってこない。

逆説的に言うならば、読者のお陰で自堕落にならずに済んでいるわけだ。

ある日突然、明日から書かなくていいと言われ、書くということを失ったら、私は酒浸りになってしまうだろう。

そして布団から出ないかも知れない。

結局私は愛する読者を楽しませることが天命だと思って生きているので、何よりも書くことを優先する。

 

 

だからこそ、新宿へ行ったのにどこへも寄らずに直帰したということが言いたい。

書くという天命を授かるまでの私は、心に穴が空いていて、欲望だけを持って生きていた。

寂しさと虚無との闘いだった。

そんな私が唯一心がけたことは、目の前にあることに一生懸命になったということだ。

何事にも体当たりでぶつかってきたからこそ、天命を知ることができた。

心の中に価値あるものを見つけた私は、一回りも二回りも成長し、自堕落から脱出することができた。

フラフラと飲み歩いたり、男を転々とすることがなくなった。

どっちが魅力的だったかは別にして、現実を誤魔化すことをしなくなった。

書かなければならないから帰る。

次の日アップしなければならないから、寝る。

それがどれほど私にとって大きなストッパーになっていることかという話。

天命を手にするってことは、凄いことなのだ。

誰かにとってはそれが犬の散歩だったリ、子育てだったリするのだろう。

家族という概念を捨てた私は、書くことが全て。

売れる売れないの話ともまた別問題。