二度寝から目が覚めて、ひたすら『ロックンローラー』に集中していた。
やればできるじゃん、などと思いながら時計を見たらもう夜だった。
慌ててビールを冷凍庫で冷やし、これを書き始めることにした。
早い時間に床に就きたいからだ。
合い間に、実は両親にハガキを書いた。
離婚の報告をまだ済ませてはいないからだ。
せっかく精神的に落ち着いてきたのに両親から責め立てられるのは気が引けて、電話する気になれなかったのだ。
しかし、離婚したい気持ちを抱えていると報告してからおよそ二ヶ月くらい経とうとしている。
間違いなく、心配していることだろう。
私も少し落ち着いたし、ハガキくらい送った方が良いと思った。
そして、ペンを取ったのである。
「アパート暮らしは快適です」
ただそれだけを添えた。
これからのことは誰にもわかるまい。
今までのことは、もう語る必要もあるまい。
だから電話して長話するようなこともない。
それよりも、私の病気が難病指定されてからの報告の方が良いと思った。
目に関することは、特に母親が心配していたからだ。
とはいえ、今月ははっきりとした検査結果は出ないだろう。
激動の一月は、前半は早かった。
後半はほとんど予定を入れず、在宅仕事に専念するつもりだったので、時間の流れがゆっくりだ。
今週は、月曜日、火曜日と病院へ行くが、その後はフリーだ。
たっぷりと編集作業ができる。
ということは、精神的なゆとりにも繋がる。
たった一人で穏やかな時間の流れを味わうことができるということは、この上ない贅沢でもある。
四月の発売まで、打ち合わせ以外の予定がほとんどないので、徹底的に集中して編集作業をする。
しかし、この作業が終わる日が来ると思うとゾッとする。
打ち込むものをまた探さなくてはならないからだ。
勿論、事業の運営を本格化しなければならない。
果たしてそれだけで、私は満足するだろうか。
忙しくなければ立っていられない弱さを孕んでいるので、四月以降の自分が若干心配だ。
それほど、今の私にとっては『ロックンローラー』という小説の制作が心の支えになっているのだ。
人間にとって最も恐ろしいのは「退屈」である、とは以前にも書いたかな。
退屈でいられる人は、心が安定して満たされている人。
私のように何かが欠けていて、不安定なタイプは退屈に飲まれてしまう。
すると、快楽を求める欲望が暴れ出す。
気付いた時には、自分の居場所さえ見失う。
仕舞いには、自分のことすら愛せなくなってしまう。
そんなことを食い止めるために私ができることは何かと考えた時、仕事と読書しかない。
誰かのために生きる「誰か」がいない者にとっては、誰かのために働くしかない。
もっと分かり易く言うならば、誰かを幸せに導くような仕事をする必要があるということだ。
つまり、それはお客様であり、仲間であり、家族がいれば家族なんだろう。
私が両親を幸せに導くことができる手段はただ一つ。
娘である私が幸せになった姿を見せることのみである。
しかし、両親は物凄く形にこだわるタイプだ。
私のことは不幸だと思っている。
私としては、これほどおめでたく幸せな人間もそうそう珍しいと思っている。
それは、どんなに私が自分の口から言っても両親には伝わらない。
両親としてはお金を持っている優しい人との結婚こそが幸せなのだ。
私は、自分で自分のことを愛せる人は幸せ者だと思っている。
貧しくとも、現実が厳しくとも、自己肯定できること。
決して自分は間違っていないと思える根拠のない自信を持てること。
それがなければ、ここで自分を晒すことも難しいだろう。
孤独イコール不幸ではない。
孤独を愛して生きる幸せ者は大勢いる。
まぁ、両親の願いとしては苦労して欲しくないのだろうけどね。
それなのに、活躍して欲しいと願っているそうだ。
私は私らしく生きるのみなのだが。