疲れているからといって、爆睡するとは限らないようだ。
先日はよほど疲れていたものの朝まで眠ることができなかった。
朝になって、投稿をアップしたのち、ようやく眠りについて昼近くまで寝た。
仕事の電話をしたりしているうちにようやく目が覚め、お腹が空いたのでまたしても冷凍パスタをチンして食べた。
手軽な上に安いので、まとめ買いしてあるのだ。
外出しないで済む日は、とことん家に籠りたい。
酒も煙草も予備がたっぷりあるので、コンビニまで歩く必要もない。
ところが、いよいよ神経内科へ行く日がやってきた。
保険証がまだできていないので十割負担でMRIを受けなければならない。
まぁ、来月には返金されるのでどうってことない。
先日も書いたが、能天気になることは大切なことである。
自分を客観視できていない人は、能天気にはなれないそうだ。
目先のことを考えてイライラしている人は、能天気さが足りないことになる。
生まれ持った性格だけではなく、努力も必要なんだということだ。
努力?
一瞬そう思ったが、訓練みたいなことかも知れないと思った。
幾度となく絶体絶命のピンチに陥ったことがあれば、何となく想像できるのではないだろうか。
その辺に転がっている不運なんてものは、大したものではないということを。
時期が来れば、空は晴れる。
要は物事は滞る時もあれば、ケロっとしてスムーズに流れる時もあるということ。
スムーズに流れている時にガッチリ掴み、滞っている時は何がなんでも掴んだその手を放さないということだ。
それさえ心得ておけば、ガタガタ震えることもないし、イライラする必要もない。
そのような経験を積んで、局面をクリアして行くことが「努力」なのではないかと考えた。
なぜ、私がそんなことを言うかって、今はまさに色んな出来事が滞っている時期だからだ。
会いたい人には会えそうもないし、交渉事は進まないし、仕事の進捗は遅いし、傍から見れば八方塞がりかも知れない。
ところが私は至って平和で元気である。
それは、先日も述べたが「能天気さ」というものを見に付けることに成功しているからだと判断している。
表にガンガン出るべき時と、裏方に回るべき時と、わきまえるのが一番良いと思うのはそういうことだ。
だから私は最近ライブ配信をやらないし、アパートでひたすら『ロックンローラー』の制作に励んでいる。
友人とも会わず、酒も控えて、暇があれば読書をしている。
これは、私が身に付けた不運時の過ごし方だ。
そんな私にも春が来る。
そうなったら、また表に出て活動すれば良い。
オン、オフ、を自分でコントロールできると、今やるべきことが明確になる。
無論、私が無名の人だからこそできることなのだが。
無名であるということは利用するのが一番だと思っている。
売れる作品を書かなければならないなんて、誰一人言う人がいない。
あくまでも私が書きたい作品、面白いと思った作品を書くまでだ。
いつか誰かに、こう言わせてやりたい。
「蓮さんは、日々の投稿と無名時代の作品が一番良かった」
とね。
捻くれ者かも知れないが、私としては「今」を楽しんでいる。
冬眠時代は冬眠時代で、仲良く付き合って乗り切るべきだ。
こんなはずじゃない、そう思うから苦しくなるのだ。
誰にでも、不運期はある。
家に一人でいて退屈じゃないの?
そう言われることもたまにあるが、むしろ、楽しんでいる。
出先からの帰り道、駅から自宅まで歩いて帰るのが一番寂しいかも。
寄り道して居酒屋へ寄っても、やはり帰り道は寂しい。
待っている人がいないとわかっているからだ。
帰ってきてしまえば平気なんだけどね。
幸い、駅前の半分くらいが店の灯りを消しているような状態だ。
仲間と飲みに行きたいけれど、今月は辛抱かな。
来月に入れば、また見える景色が変わってくるだろう。
それさえわかっていれば、案外何事にも呑気でいられるものだ。
今年の桜は眩しいだろうな。