二時まで起きていて、ちょっとしたイベントに参加した。
ところがいつも通り五時に起きて投稿をアップし、それから九時頃まで寝ていた。
すっかり睡眠不足。
やはり結果は異状なしだった。
では一体、私のこの症状はなんなんだ?
得体の知れない原因に不気味さを感じたまま、何も言えず病院を後にした。
手の震え、胴体の傾き、まぶたの下がり、唇の緩み、目の複視、どう考えてもおかしいのだけどなぁ。
経過観察ということになった。
病院を変えようか。
以前、友人と食事をしたことがある。
私の手が震えているもので、この人は何の病気だろう?と思ったそうだ。
胴体の傾きや、まぶたの下がりは多数の人から指摘されることだ。
なんだか、スッキリしない。
MRIが十五時前だったので、朝から何も食べていなかった。
富士そばへ行けば安く済んだのだが、居酒屋へ入ったためえらく高く付いた。
それでも、ヒラメの刺身や牛筋煮込みは非常に美味だった。
お客は私しかおらず、暫しの間、くつろがせてもらった。
しかし、それだけで腹が満たされるわけもなく、空腹のままこれを書いている。
あぁ~、腹が減った。
だけど今日は早く寝たい。
だから書かねばならぬ。
気休めに冷ややっこを食べたが満たされぬ。
駅構内のファミリーマートで明太マヨおにぎりでも買ってくれば良かった。
そもそも、人と暮すってどうなんだろう。
メリットも沢山あるのは事実だ。
最大のメリットは、一人じゃないってことだ。
私が想うデメリットは、相手の気持ちが冷めているのに気付いた時、惰性でも一緒にいなければならないことだった。
もう私に対して気持ちがないことは、何となくわかっていた。
それに気付いてからの半年くらいはしんどかったかな。
一人で生きて行くことばかり考えるようになった。
いつも言っているけど、思考は現実化する。
一緒に居ながら考えていたことが、見事に具現化しただけに過ぎない。
保険証の手続きが進まないことについても、やはり考えてしまう。
相手が病院通いしているのを知っていて、なぜ手続きしないのか。
そこには意地悪根性もあるのかも知れない。
だけどそれだけではないだろう。
私は良くも悪くも、あまり人を嫌いになることがない。
嫌がらせされたりしたらぶった斬ることはあっても、根本的にその人のことが嫌いではない。
嫌いになる前に離れてしまうと言った方が正しいかも知れない。
つまり、別れてきた人の中に嫌いな人などいないということだ。
人を嫌うということは、それだけ執着していることだと思う。
私にはそれがないって話。
だから決して未練ではないのだ。
長い間引きずっていた人もいるが、今では良き友達だったりする。
しかし、それはあまり周囲から理解を示してもらえないこともある。
仕方のないことだ。
私にも良くわからないからだ。
ただ、友達になれるかどうかは、相手に対して敬意を抱いているかどうかにかかっているのだと思う。
無論、敬意を抱くことができない人とは友達にもなれないということだ。
それなのになぜ、一緒にいたのだろう。
タイミングもあり、運命もあるだろう。
別れた後で、なんでこの人と一緒にいたのだろうかと深く考えさせられることもある。
人間と人間って不思議なものだ。
全然大事にしてくれなかったのに好きだった場合もあるし、めちゃくちゃ大事にしてくれたのに好きになれない場合もある。
私がこういうヤツなのか、それとも誰にでもあることなのかわからないけれどもね。
結局何が言いたいかって、どんなに嫌がらせを受けても嫌いにすらならないということ。
人を嫌うのは多大なエネルギーを必要とする。
そのエネルギーを燃やすのは無駄だと判断するのだ。
多大なエネルギーは好きな人達に注いだ方が良いだろう。
だからこそ、好き嫌いがハッキリしているように見られるのかも知れない。
伝わったかな?