nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

ドスンと落ちた!

非常に天気がよく、ポカポカ陽気。

風もなく最高の天気だった。

ダウンジャケットでは暑いくらい。

ガストで簡単な打ち合わせをして、オムライスをご馳走になって帰ってきたばかりだ。

久々のお米は美味だった。

解散して、アパートに入った途端、さっきまであんなに元気だった自分が嘘のように鬱々とし始めた。

ドスンと落ちた。

これはいかん。

恐らく原因はアパートにはない。

一人きりの空間が良くないのかも知れない。

一階だからとカーテンを閉め切っているのもあるだろう。

せっかく陽当たりがいいのだから、思い切りオープンにすれば晴ればれしそうな気もするが、近所の目が気になってしまう。

次の打ち合わせまで少し休憩して、夜になってからこれを書こうと思ったのだが、落ち着かないので先に書いてしまうことにした。

 

 

ドスンと落ちたのは一体何なんだ?

理由がわけわからないので、台所へ行って換気扇の下で煙草を吸ってみた。

それでも上手くリセットできない。

想い煩うことは特にない。

ただ、朝から打ち合わせに出掛ける支度を始めるまでの間、ずっと沈みがちだった。

やはり二日も三日も籠りきりは良くないのかも知れない。

退屈ではない。

やらなければならないことは沢山あるし、〆切りだってある。

それなのに気分が落ちるということは、現実問題過酷なんだろうな。

もしかしたら、私はヤバいかも知れないという事実を自覚し始めたのかも知れない。

生きるのか、もしくは投げ出すのか。

そういう極端な選択を迫られているような気がする。

能天気に生きてきた代償が、これから降りかかってくることになるのだろう。

 

 

私はどちらかと言えば、なんとかなるさ精神で生きてきた。

しかし、どう考えてもここから先はそれじゃ進めない。

早い話が、私はもう若くはないということだ。

こんな時こそエンジン全開で動かなきゃならないのに、重たい腰が上がらない。

先日派遣会社から連絡があって、美味しい仕事を紹介してくれた。

ところが打ち合わせと通院日が重なったので、泣く泣く断念することになった。

座職なら、まだやれる気がしていたのだが。

肉体労働は、恐らく周りについて行けないだろう。

いかん、いかん、どんどん陰気臭くなる。

このままではダメだと思い、珍しくレニークラヴィッツを流している。

サウンドが物足りない、などと生意気なことを想ってみたり。

こういう時は、のめり込まない曲を微音で流すくらいで丁度いい。

BGMなのだから、酒が飲みたくなるような音楽はダメだ。

だから、ドアーズは聴かない。

 

 

ドスンと落ちてしまうのは、心の持ちようでもある。

これから起こる出来事にワクワクしていれば、自ずと魂はそちらへ導かれて行くものかも知れない。

だからといって、現実を受け止めず楽観思考だけで生きていたら私のような目に遭う。

今の若い人へ言いたいことなど一つもない。

ARBはカッコイイよ!と伝えたい程度のものだ。

なぜなら、今の若者は私よりも圧倒的に賢く、広い視野を持って生きているような気がするからだ。

ただ一つ想うことは、楽な方へ流れているように思う。

例えば運動神経がすこぶるいいのに、練習は疲れるからとスポーツ選手は目指さずユーチューバーになる研究をしていたりする。

からしたら勿体無いなと思うのだが、器用貧乏でもあるのだろう。

この世の中に、できることが何もないと知ることはとても怖いことだ。

子供の頃はある程度人並みにできていたことが、大人になるに連れ、生きる幅はどんどん狭くなる。

昔は、なんでも選択できる大人に憧れていたのに、現実はこんなにも不自由の塊りだなんて。

一丁前に志など持っていない方が楽になれるのだろうか。

どうも歯車が噛み合っていない気がするのは私だけだろうか?

やりたいこととやれることの歯車がね。