nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

快楽に走る恐怖

夕方がやってくると、床に就く時間から逆算してパソコンに向かうことになる。

眠たくなってしまう前にこれを書かないと布団に潜れないからだ。

とはいえ、なぜか夜にならないと書く気がしない。

無論、出先から帰ってきてからイギリスの出版社に送る履歴書と職務経歴書を書いていたというのもある。

気づいた時には十八時を過ぎていた。

たまには二十一時頃寝たいものだ。

決して忙しいわけではないのに、あっという間に夜は過ぎていく。

映画を観たり、本を読んだりしているわけでもないのだが。

 

 

帰宅してポストを開けたら、母さんからハガキが届いていた。

心配しているとは思うが、こう書いてあった。

 

「新しい生活を始めて良かったと思えるように、仕事を頑張ってください」

 

単純に応援してくれているのだろうと思った。

私が忙しくしていると思って、気を遣っているのもあるだろう。

病院通いのことは、やはり落ち着くまでは言わない方が良さそうだ。

 

 

出先の帰りにスーパーへ寄って、食べ物を物色していた私。

目に付いたものは「真サバ」の刺身。

さほど高くはないが贅沢かも知れないなどと思いながらも、籠の中に入れてレジに進んだ。

帰宅して、やるべきことを片付けてから、ごま醤油をかけて食べたのだがめちゃくちゃ美味かった。

一瞬でも癒された気がして、心から買って良かったと思えた。

しかし、刺身だけでは腹が満たされなくて、何か食べたいと思っているところだ。

先にこれを書いて、あとで赤ワインと一緒に食べることにしよう。

真サバの感動が忘れられず、再びスーパーを訪れてもたぶん置いていないだろう。

なぜそう思うかというと、鮮度が良かったからだ。

所詮はスーパーなのだけど、こだわって仕入れていると見た。

用事の帰りにもつ串を食べてこないで正解だった。

誘惑に勝った代わりに食べれたのだから。

この土地にいて不満など何もないのだが、あるとすれば新鮮な魚介類に恵まれないということだ。

勿論、安い店ばかり行っているので当然の話なのだが。

北国では、安くても美味いものを出す店が多い。

それと比較しても仕方がないのだが。

 

 

このアパートにはすっかり馴染んだようだ。

住めば都。

日が経つにつれ、自分にフィットしてくる感じがわかる。

寝床も居心地が良くなってきた。

台所の換気扇の下で煙草を吸っているのも、違和感を感じなくなった。

あぁ、当分この部屋が私の居場所になるのだろうなという実感が湧いてくる。

ただ一つ、未だに慣れないことがある。

それは電車を降りて、駅から家まで帰る道のりだ。

帰ったら一人なんだという事実が重くのしかかってくる。

その寂しさを埋めようとして、酒場に寄り道したり、スーパーで贅沢品を買ったりしてしまうのだ。

真サバはたまたま激ウマだったから良かったものの、ハズレだったらえらく後悔していただろう。

ふと思う。

どうして寂しさを埋める手段が寄り道や買い物なのだろうかと。

さっさと自宅に帰り、編集のために読書をした方がよっぽど自分のためになるとわかっている。

にもかかわらず、一瞬の快楽に走ってしまうのは、明らかに弱さだよなと痛感する。

私ぐらいになるともっと極端なことを考える。

ストレスからは解放されたけれども、何か物足りなさを感じている。

快楽主義になる言い訳としては、人間いつ死ぬかわからないということだ。

だったら、今夜、美味いものを食べて美味い生ビールを飲んで、自分を満たしてあげたいと。

酒場から自宅まで歩いて帰るのは余計に寂しいのだが。

自己嫌悪がプラスされるからだ。

これでもかなりマシになった方だ。

夜はこれを書かなければならないというルールを自分の中に組み込んだからだ。

つまり、私は恐怖の中で毎日書き続けていることとなる。

気を抜いたらどこまでも堕落してしまう自分を知っている。

一日でも休んだら、もう書けなくなるし、誰も読まなくなるかも知れない。

大袈裟だけど、そんな恐怖と闘っている。