体調が万全ではなかったので、外出せず、部屋でひたすら編集作業をしていた。
よくよく見直すと、修正箇所が出てくるので、何度も繰り返さなければならない。
この作業をあと二ヶ月間、根気強くやることだ。
悔いのない作品に仕上げなければならない。
半日程度の編集作業を終え、夕方になったので決められたようにビールを飲み始めた。
原稿に向かうのは翌日に回して、これを書き始めている。
しばらく家にいるのでネタもないのだが、書いていこう。
最近は、なんとなく夜の繁華街へ行くのが阿呆らしくなってきた。
一時の寂しさと欲望を満たすために金を使ってしまうことへの自己嫌悪。
あんな気持ちになるのなら、黙って家で飲み食いすればいいのだ。
そして体力を温存するためにも、たっぷり寝ればいい。
そのためには、どうせ家にいるのだから早い時間からこれを書いてしまって、さっさと酒を飲むのがベスト。
今の私にとって最も必要なのは、睡眠時間だと今更気づいた。
食って寝てさえいれば、免疫力は上がってくるのだと。
そう考えると、無理をしていた昨年から今年頭にかけて、風邪を引いたり感染したりしなかったのは奇跡的なことのような気がしてならない。
勿論栄養も摂らなければならない。
ところが、またしても冷凍パスタで昼メシを済ませてしまった私。
安い冷凍パスタの限界を知ってしまったので、次回スーパーへ行ったら五十円高いものを買って気持ちを満たすことにした。
ハッキリ言って、こんなものはカルボナーラではないと腹立たしかった。
さて、週末だ。
来週は打ち合わせがあるため、その準備に明け暮れようと思っている。
ちまたが連休だと、私もどこかへ行きたくなる。
予定のない週末を過ごすのはなんとなく物足りない気もするが、ぶっちゃけ私に曜日感覚などない。
ただパソコンの隣に卓上カレンダーを置いてあるので、週末を意識するだけに過ぎない。
出掛けても混んでいるだろうし、わざわざ電車に乗って遠出する気もしない。
ただ、漠然と美味しいものが食べたいくらいなものだ。
美味いと思えるものに飢えているからだ。
かといっても、料理はする気がしない。
先日まで主婦をやっていた人間とは思えない。
本当に何もしなくなってしまった。
環境のせいもあると思う。
近くにスーパーがないので、駅まで歩く必要がある。
お惣菜が豊富なスーパーが近くにあれば、選んで買う楽しみがあったのになと思う。
この辺の人達は、きっと車で週末買い物に出かけるのだろう。
以前旦那と住んでいた家の近くにはスーパーが三軒並んでいたので、買い物には困らなかった。
その代わり、駅まではバスに乗らないと行けなかったのだが。
実は友達とこんな話をしていた。
コロナ禍で外出できないなら、居心地の良い家に住む必要があるという話。
行く行くは、お金を貯めて、田舎に一軒家が買えればいいよねと。
広い台所と、ソファが置けるリビングと、ベッドが置ける寝室と、デカい本棚が置ける自室があればいいよねと。
飲みに行けない分、友達を読んで宅飲みできれば最高だ。
冗談抜きで、これからは宅飲みの時代になるのではないだろうか。
だが、気候の変動などで、美味しいものがスーパーに並ばなくなってきた。
魚などが特にそうかも知れない。
そうすると、勝つのは料理上手な人だよな。
私が友達を呼んでもおもてなしできない。
尚且つ、私は喫煙者なので、益々居場所がなくなるわけだ。
サイゼリヤで煙草吸いながら、ワインとカルボナーラでブログ書いたり読書していた時代が懐かしい。
これからはなんでも自宅でしなければならない。
まぁ、これも慣れだろうけどね。
今のアパートに来てすぐに座椅子を買ったのは正解だった。
いずれにしても、家にいることを極上の幸せにしなければならない。
だって、家から出てはならない時代なのだから。
それをつまらないと考えず、家が楽しいと考える必要がある。
思考の転換が求められているのだ。
私はそう思う。