nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

ママは任侠を持っていた

近所でこのご時世でもやっている店を発見してしまった。

先日たまたま知り合った友達に、最寄り駅近辺の居酒屋へ連れて行ってもらったのだ。

十歳以上歳の離れた方だが、私が年齢よりも落ち着いているみたいで、なんだか可愛らしい人だ。

日中はさほど寒くもなく、店まで歩くのが丁度よかった。

店は駅からは少々離れていたものの、我が家からは近いらしい。

道順がよくわからないため、自宅近くで待ち合わせをして、駅経由で歩いて行った。

四時からやっている店で、私達は四時過ぎには入店した。

お通しをつまみにビールをチビチビ飲みながら、店の雰囲気を楽しんでいた。

なんせ、私はママのことが気に入った。

やはり人間って第一印象なんだなと思った。

綺麗な人だったが、綺麗とか可愛いとかそういう問題ではなくて、任侠があると思った。

私が、ママは任侠があると言ったら、それをすんなり受け入れてくれたので、やはりわかっている方なんだなと思った。

ブリカマ、もつ煮、納豆の和え物を食べて、二、三杯飲んで店を出た。

私はもっとゆっくりしていたかったのだが、お連れの方が次の店へ行きたいようだった。

だから、また来ますと言って店を出た。

とても名残惜しい気持ちだった。

近いうちにまた来ようと思った。

友達を連れて行くのもいいけれど、なんとなく一人で行きたい気もした。

もっとママと仲良くなりたい、そう思った。

私が女性にリスペクトするのも珍しいこと。

何か運命的なものを感じてしまった。

ママは十八歳の頃から今に至るまで水商売一本だということ。

私は店を転々としたり、中途半端にブルーカラーの仕事をしたり、信念がない。

仕舞いには、三十六歳の頃熟女クラブへ行ったら、若すぎると言われ全く人気が出なかった。

それを最後に、夜の世界からは遠ざかったのだけどね。

私にとっては三十五歳がピークだった。

三十五歳も三十六歳も変わらないと思われるかも知れないが、勤めていた店の系統も違ったので、大違いだった。

忌野清志郎さんも三十五歳までは歳を取らないと思っていたらしい。

私もそうだ。

しかし、実際には急降下した。

それでもこうして素敵な先輩ママに出会うと、人生捨てたもんじゃないかも知れないと思うことができた。

 

 

二軒目に連れて行ってもらった店も、素敵なママがいた。

恐らく日本人ではないような、そんな気がした。

だけど、二十年以上この場所で、この店を営んでいるそうだ。

私もススキノ育ちということもあって、今までの職種柄、ホステスやマスターをやっている友達も沢山いる。

この世の中でも踏ん張って続けている人もいれば、辞めてしまった人もいる。

それがいいとか悪いとかじゃないけれど、二十年この場所でやっているというのは尊敬に値した。

一日に二人も素敵なママに出会うと、私も十六歳で家出して、スナックで働いて、そのまま水商売一本でも良かったのではないかとさえ思ってしまった。

ただ、私には向いていなかった。

まぁ、これだけは言える。

私がもし、水商売一本でやって行ける女だったら、もっと腹も決まっていただろう。

書くという使命は舞い降りてこなかったのかも知れない。

しかし、それはそれである程度年齢を重ねてママになれたとしたら、それはそれで本望だ。

ホステスとして脂が乗っていた時代もあったからこそ、未練のようなものもあって、今回出会ったママは眩しく見えたのだろう。

単純に、とてもカッコ良かった。

どうせ文章だけでは食べて行けないのだから、やはり「スナック蓮」をやれたらいいよなとも思った。

その自信はないのだが、私のことだから、何かしらの店は開くかも知れないよな。

そう考えたらもう少しの間は健康でいたいと願ったりしたのだ。

言うまでもない、先輩ママ達が生き生きとして私の目に映ったからだろう。

正直言って、心底羨ましかった。