nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

努力の実感とは

冬物七十パーセントオフを狙って、ショッピングモールまで行ってきた。

いや、歩いた、歩いた。

休日にしては空いていた。

ずっと昔から欲しかった黒色のハーフダウンコートを安値で買うことができて満足している。

早速着てみたが、ポカポカだ。

相当な距離を歩いたので、汗だくになるほどだった。

ついでだったので、来月にでもなれば着られそうなものも見てきた。

流行の変化がよくわかった。

私はあまり物欲がないので、流行は追わないのだが、TPOだけは気を付けるようにしなければならない。

だから物欲がなくても、服を新調することは避けられないのだ。

ボロを着て人に会うことも、失礼にあたると思うからだ。

家の中で着るものはなんでもいいが、やはりオフィシャルな場所にはそれなりの格好で出向くのが一つの礼儀でもある。

しかも、それは私自身のテンションにも繋がる。

身だしなみを整えることは、相手のためでもあり自分のためでもある。

もう若くはないし、高い服は買えないが、なんでもいいというわけにはいかない。

若づくりするタイプでもないのだが、自分の価値は高めたい。

そんな想いで、たまに買い物に出かけるのである。

冬服を安く買うのは今しかない、そう思ったのもある。

今日行かなければ、恐らく目当てのものは手に入らなかっただろう。

 

 

礼儀といえば、礼儀って意外と知らない人が多いとビックリすることがある。

私も敬語など上手く使いこなせていないのだが、秩序くらいはわかる。

でも、自分の中にあるものは自分で秘めて、相手に押し付けないようにしなければならないと肝に銘じている。

相手に期待してしまう自分は「弱さの塊り」なのだ。

自分を戒めないとな、とは思っているのだが。

短気は損気って言うしね。

 

 

とはいえ、私の場合は怖いものが少しずつなくなってきている。

先日の話ではないが、覚悟を決めたからかも知れない。

もしくは、日々の努力を実感しているというのもある。

傍から見ていてもそう思うが、やはり日々コツコツやっている人は多少なりとも自分を信頼している。

努力の実感だ。

書くばかりではない。

スポーツジムや料理やそれぞれの仕事など、努力の実感ができる分野が人それぞれ違うだけだ。

読書や勉強にも同じこと言える。

何が言いたいかって、日々コツコツ何かに取り組んでいる人はタフである。

そのタフさが継続に繋がっているのだと思う。

タフということは、エネルギーを保有していることでもある。

つまり、燃えられるものを持っている人からは情熱が伝わってくるのだ。

私の周りにはそういう人が多いので、いい刺激になっている。

口では朽ち果てても良いなどと言っていても、そう簡単にはくたばらないかも知れない。

そんな気さえしてしまうのだ。

 

 

継続のコツは、ルーティンにしてしまうことだ。

それを自分のためではなく誰かのためにできたらより良いと思う。

例えば、私が毎朝五時に無理矢理起きるのは、出勤前の人に読んでもらいたいからだ。

実際に早朝から仕事で、私の投稿を読むことがルーティンになっている人を知っている。

だから彼ら彼女らが活動する前に起きてアップするのである。

これは簡単なことで誰にでもできるのだが、継続は難しい。

もっと分かり易く言うならば、愛だ!

他者への愛が自分をタフにしているのだ。

他者への愛がない者は、燃え盛るエネルギーがないのと同じだ。

だからこそ、他者を愛することが必要なのだ。

私の場合は、他者とは読んでくれている人に他ならないのだが。

愛を大切にする気持ちがあれば、自ずと日々コツコツができるので、努力の実感を味わえるようになる。

その実感のみが自分の支えになるということは、実践している者にしかわからないことかも知れない。

さて、肉でも食べてビールでも飲もうか。