秋葉原に来ている。
チビチビ飲んでいるうちに眠たくなってきた、
何軒もハシゴしたら酔いが回った。
帰ったら早く寝たいので、大急ぎでこれを書いている。
秋葉原は病院だけで、飲みに出たのは初めてだ。
あれほど宅飲みがいいと言っておきながら、何をやっているんだか。
ネオンに負けてしまったわけではない。
ダラダラしたかっただけだ。
だったらさっさと帰ればいいのに、賑やかな秋葉原はなんとなく心地よい。
あと少ししたら、家に帰る。
天の使命は気まぐれである。
これを言ってくれたのは仕事のパートナーだ。
確かに気まぐれだ。
この人にはこの使命と、誰が決めたのだろう。
天が決めたわけでもなかろう。
たまたまってヤツだ。
これについては深く考えさせられた。
そうか、天は気まぐれか!
ということは、私が文章を書くようになったのもたまたまである。
自己表現するというたった一つの目標のために、書くということを与えられただけであって、ペンではなく、カメラや筆でも良かったわけだ。
私は生まれ変わったら、ビジュアルの優れたボーカリストになりたい。
チバユウスケみたいになれたら最高だ。
ダンスかギターが上手ければ尚良し。
とにかく生まれ変わることができれば、目立って歓声を浴びたい。
男に生まれたいくらいだ。
忌野清志郎やハリーみたいに、皆の憧れ的存在になりたい。
要はモテたいだけなのかも知れない。
どうでもいいことなんだけどね。
そのためには文章を書いているより、歌を歌ってステージで暴れていたい。
ギタリストやドラマーにはなれないタイプ。
なぜなら、一番目立ちたいからだ。
つまりこれは承認欲求だと思う。
程度によるけど、承認欲求というのはそれぞれの中にあると思う。
イチローくらいトップを極めた人は、もうその次元を超越しているのかもしれない。
マズローの欲求によると、私は生理的欲求も満たされていないくせに自己実現を求めている。
とは、友人からも指摘されたことだ。
食べたいものもロクに食べられず、欲を満たしていないのに、何が自己実現だ!
神の領域によると、欲求がないそうだ。
悪いが私は欲求の塊だ。
恥ずかしくもない、堂々と言ってやる。
つまり私は神にはなれない平々凡々な人間であるということだ。
そういうことを小説に書きたいよなと思いながら、ここの投稿に書いている。
居酒屋でパソコンを開くのはひんしゅくを買うかも知れないが、急いでいるので開き直ってパソコンを開いている。
ただ想うことは、今の時代って誰でも手軽にスターになれる。
インスタのストーリーズがあり、ライブ配信があり、SNSで主役になることができる。
私だって無名のくせに勝手に自分を主人公に仕立てることは可能。
自分のYouTubeチャンネルを作ることだってできる。
考えたら承認欲求の塊りである私なんかにとってはすごいことだ。
だけど私が文章を書いていることは、たぶん自己実現だと思う。
と言いながらも、先ほど述べたように生理的欲求が満たされていない。
私って一体何なんだよ!!!
まずは、黙って生理的欲求を満たせという話だ。
身体は生理的欲求を満たそうとしているけれども、頭は自己実現を求めているというチグハグさ。
だから結局自己実現にはならず、承認欲求に留まっているのかも知れない。
さて、せっかく飲んでいる酒の席。
小難しいことを書くのも止めようか。
毎日投稿しているこの文章、長すぎるのだろうか。
千五百文字は、長すぎず短すぎずと思っているのだが、未だによくわからない。
だが、そろそろ帰ろう。
こんだけ飲んだら、帰るのが怠いよ。
と言いながら、どうせタクシーは停まっていないしトボトボ帰るか。