橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自己承認

私ってヤツは実に数奇な運命を背負っている。

一難去ってまた一難。

しかし、それをまた楽しんでいる節がある。

退屈な人生を歩むよりはマシだと思っている。

退屈っていうのは最大の魔物であるということは、何度も書かせて頂いている。

熱中するものがない、志がないということは、欲望に流されるに等しい。

欲望とは快楽ばかりではない。

支配欲、攻撃欲、独占欲などもそうだ。

そういうものに呑み込まれ、良からぬ行動を取ってしまうのだ。

そういう人を目の当たりにすると、きっと幸せじゃないのだろうなと直ぐにわかる。

幸せに生きている人間は、必要以上に他者へ関心を示さないものだと思う。

勿論、幸せの定義は十人十色。

私はこう見えて、決して不幸ではない。

傍から見れば憐れに感じるかも知れないが、お気楽に楽しく日々過ごしている。

確かに仕事を抑え、『ロックンローラー』の制作に集中しているこの期間は孤独と疎外感との闘いでもある。

かといって、自分が一番やりたいと思うことに没頭できているので、幸せでもある。

この世で一番恐ろしいのは、金のある退屈だ。

金があるから貪欲になれず、また、退屈なので余計なものに目が行ってしまうのだ。

そういう典型的な人を、私は何人も知っている。

 

 

ただ、楽に生きられるのに越したことはない。

矛盾しているようだが、忙しければいいというものではない。

世の中には色んなタイプの人間がいて、所属していることに安堵を覚えている人や、多大な仕事を抱えていることに優越を感じている人がいるようだ。

私の周りは個人事業主が多いし、友達同士でもどうやってメシを食いつないでいるのかベールに包まれていたりする。

とはいえ、皆、普通に生きているし、寝床もあって、酒も飲んでいる。

お互いに深入りはしないが、日々忙殺されているわけでもなさそうだ。

割と最近知り合った二十代男性は、技術職でありアーティストなのだが、映画を観ながら酒を飲む余裕をちゃんと持っている。

私に限って言えば、一年間くらい映画から遠ざかっている。

何が言いたいかというと、忙しいというのは時として、時間の余裕を生み出せない言い訳にしかならないということだ。

退屈は魔物だと書いた。

しかし、それと時間に余裕があるのは別問題である。

私の友人には、とにかく働きたくないと口癖のように言っている人もいる。

かといって、自立して、好きなことを好きなようにやっていて、平和に暮らしている。

 

 

ハッキリ言って、私は時間の使い方があまり上手くない。

それは自信のなさと直結しているような気がする。

パソコンの前で、固まっていたりする時間があるなら、スパッと気持ちを切り替えてビールでも飲みながら映画を観たりすればいいのだ。

昼寝したっていい。

ところが、自信がないのでパソコンの前から離れると怠けているように感じてしまうのだ。

これはある意味病的だと、自分では判断している。

自己承認が上手く行けば、このような現実からは解放されると思う。

自分のことが大好きな割には、自分で自分を褒めたりすることが苦手だ。

私から見る本当のプロフェッショナルは、自己承認が上手いと感じている。

楽しようが、怠けようが、結果が全て。

特に個人で生きている者は、その辺のコントロールができている。

自立とは、経済的なことだけではなく、精神的なものをも指す。

そういう意味では、私ごときはまだまだである。

見本になる人達に恵まれているので、見習いたいと思う。

サラッと暇であることを演出できる人間になりたい。

そして、努力していないフリをしながら、陰では青筋立てている人間でありたい。

私などは、ついつい忙しいと口にし、日々頑張っているかのように振る舞ってしまう。

ただ単に要領が悪いだけなのだが。