nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

静寂の中

朝五時に毎朝起きるのだが、二度寝してしまうことが多々ある。

ところが、五時に起きたきりずっと起きていることもたまにあって、そういう日の午前中はとても長く感じられる。

早朝からLINEやメールの返信をしていると、誰からも返信が来ないと不安になることもある。

時計を見るとまだ八時前だったりして、そりゃ返ってこないよなと自分を納得させる。

十時になっても返って来ないとやはり不安になるのだが、誰もが午前中は忙しいのだなどと言い聞かせる。

つまり、静寂のひと時なのだ。

そう思えば開き直って手元の作業に集中できる。

二度寝してしまった朝は悲惨で、気づいたら十二時ということがザラにある。

早起きは三文の徳だが、寝不足は大敵だ。

二者択一が非常に難しかったりする。

早起きを取るか、睡眠を取るかだ。

夜、早く寝るのは不可能だと最近気づいた。

なぜなら夕飯が遅いからだ。

中途半端な時間に昼食を食べるので、ついつい遅くなってしまう。

特に日中出掛けていたりすると、帰ってきてから投稿を書いたりするので、益々遅くなる。

言い訳がましいが、だから二度寝しないと疲れてしまうのだ。

しかし、無理矢理でも起きていると、時間を有効的に活用できて、得した気分になれる。

先ほどまで原稿の手直しに集中していたが、誰からもLINEやメールの返信が来ないので、それを題材にしてしまおうと閃いたのだ。

 

 

たまに、自分が書いている文章がすこぶるつまらないものだと気づくことがある。

そういう時はとりあえず消す。

今も、決して面白いとは言えない文章を書き続けているが、このまま書いてみようと思う。

 

 

静寂の中では作業がやたらと捗る。

それは静寂から来る不安や寂しさを誤魔化そうとして作業に集中するからだ。

私にはそのようなところがある。

なんだか、人間のことが大好きな割にはどこか人間に怯えていて、顔色を窺ってしまうところもある。

堂々と生きているようで、そうでもない。

こればかりは、簡単に直るものでもないかも知れない。

裏を返せば、人間は恐ろしい一面を持っているということを知っているのだろう。

ただ、世の中捨てたもんじゃないと思える瞬間って、案外自分が窮地に立たされている時にこそ感じられるものではないだろうか。

エールを送ってくれたり、優しさを見せてくれたりした時に、人間の温もりを感じることができる。

例えば、離婚して一人になってから、「蓮さんは一人じゃないよ!」とか言われると神に見えてくる。

その人の嫌なところなんて吹っ飛んでしまうのだ。

私は非常に極端なので、いいか悪いか、好きか嫌いか、白か黒かみたいに考えがちである。

しかし、たった一人に優しくされただけで、世の中が明るく見えたりすることがある。

あの人もこの人も、皆それぞれ良いところがあって、完全なる悪人なんていないような錯覚に陥ったりする。

単純といえば単純なのだろう。

ありがとうやゴメンねの一言で全てを許せることもある。

たまに近寄りたくない危険人物もいるが、心配しなくてもとっくに周りが見抜いていることの方が多い。

むしろ、最後の最後まで気づかなかったのは私だけだったりして。

 

 

夜になっても携帯電話が静かな日もある。

そんな時はなんとなく取り残された気分になるのだが、寂しさを紛らわすために作業に取り掛かる。

一人でいると、携帯電話の着信音が、社会からの需要のような気がして怖くなったりもする。

そういう時に限って、こちらから誰かに電話を掛けてみても出なかったりする。

そんな時は激しい自己嫌悪と、羞恥心に襲われる。

そこで初めて思い知るのである。

今日は、私の出る幕はなかったと。

そこまで辿り着いたら、開き直って輝く明日のためにワインを飲み始める。

止まない雨はないと言うように、明けない夜はない。

明日は全く別の日が待っている。

私は寂しい気持ちになると、常々そんなことを言い聞かせながら日々を送っている。

静寂の中で。