冷蔵庫に豚肉が入っていたのだが、なぜか私は保存が効くウインナーの袋を開けてフライパンで焼いて食べた。
私が料理を面倒臭がる理由として、味付けに自信がないというのがある。
昔はあんなに料理をしたのに、すっかりやらなくなった。
なぜなら、昔は「家事」しかやることがなかったからだ。
家事から解放された私は、随分と仕事が捗るようになった。
怠けていると見る人もいるようだが、そうでもない。
小説の発売を目の前にして、やるべきことは沢山ある。
先日脱稿した原稿はデザイナーさんに送ったのだが、猶予を戴いた。
水曜日までなら訂正可能ですよ!と言われ、焦って校正し直したりしている。
打ち合わせが延期になったりしたので、起きてからひたすら見直しをしていた。
そしたら、幾つか修正箇所が見つかって、ヤバいヤバい。
冷や汗を掻いたほどだ。
油断ならん、猶予を与えて戴けて良かったよ!
ウインナーでは腹が満たされなかったので、蕎麦を茹でて食べた。
よし、書くことに集中しよう!
ところで、信念ってなんぞや。
信じて念じる心と書くのだろうけど、相当労力の要る話だと思う。
ある意味、私は自分のことでたまに精一杯になる。
他人なんてどうでもいいやと思う反面、気になる人がいたりして。
私の脳内はゴチャゴチャしている。
もう、気にも留めない人もいる。
そういう人のことは諦めてしまっているのかも知れない。
期待したって仕方ないし、期待されても困るだろうし。
それでも全ては「縁」だと思う。
そしたら、縁って何?
縁って摩訶不思議な出会いであり、大変貴重なものと把握している。
大いなる力によって結ばれた、素敵なものである。
しかし、それが続くか続かないかは本人次第。
生かすも殺すも、自分なのだ。
普段、遣り取りしたりご飯を食べたりする人が数名いたとする。
だけどその中から生き残って私の傍にいてくれるのはほんの一握り。
私の場合は、馬鹿にされたと思った瞬間、さっと逃げる。
相手に何も言わずに、消える。
目くじら立てて怒鳴ったりしない。
その代わり、もう過去の人と分類する。
そういう意味ではめっちゃ冷たくない?
自分で書いていながら、私って冷たいと感じてしまった。
信念で以て人に接することはできないのだろうか。
いやいや、私に信念はないのか?
そんなことはないとは思うが、もしかしたら足りないのかも知れない。
昔からのお付き合いで親しくさせて頂いている方が数名いらっしゃる。
どれもこれもとても良好な関係だ。
ただ、表情の中に一度でも私を見下す笑みを浮かべたら、私は離れるだろう。
こう見えて脆いのである。
表情一つで見下すヤツっていうのは、腹の中では大笑いしている。
その反面、ごく一部だが憧れを持ってくれている人もいる。
憧れとは、才能ではなく真っ直ぐさに対するものだ。
自分が曲がった性格だからこそ、真っ直ぐな私に妬けるのさ。
例えば、私が商業出版ではなく自費出版しかできないでいることとかね。
そういうことを腹の中で笑っている。
自分は文章を書くことなどできないクセに、私のことを半端者扱いするとかね。
そういうことを、不思議なことに見抜いてしまうのだ。
そうやって幾度となく悔しい想いをしてきたのだが、ここまで負けずにやって来れたのは、やはり信念を大事にしている人のお陰かも知れない。
私が誰かのことを諦めないように、私のことを諦めない人もいるのだと。
諦めないとは、信頼を捨てないということではないか?
この人には信頼されているけれど、この人には信頼されていないというのはわかるものだ。
期待されていないのもわかる。
無論、そういう人のことは好きになれないし、信頼してくれる人のことは好きになる。
ただそれだけのように思う。
何が言いたいか、伝わらなかったかも知れないが。