原稿の最終チェックが終わり、デザイナーさんに再提出した。
ISBNコードも送った。
残るは中身のレイアウト、及び、デザインと、Amazonへの手配だ。
やることはまだまだあるので気が抜けないのだが、もう入稿まで日にちがない。
ゲラのチェックも残っているので、他の仕事はその後になるだろう。
今月はやはり『ロックンローラー』の制作でいっぱいいっぱいだ。
そんな中、母さんが北海道から会いに来ることになっている。
今年に入って一度も会っていないし、心配しているようだ。
ランチして、ショッピングして、夕飯も食べてくる予定だ。
最近の東京は、天候が不安定。
幸い、北千住で会うので近いからいいのだが、何を着ればいいのか悩むところだ。
できれば、母さんからもらったピンクのストールを巻いて行きたい。
疲れ切った顔を見せたら心配させるので、前日はよく寝てから行こうと思っている。
親子関係の修復はもっと難しいものだと思っていた。
私と母さんは幼少時代からズレが生じ、終いには十年以上の空白ができてしまった。
それなのに、昨年再会して、意気投合することができたのだから親子って不思議である。
仲良くできるなら、最初から仲良くしていればいいじゃん!みたいなね。
しかし、私達親子は「大人」になる必要があったのだろう。
空白があったからこそ、今となってお互いを大切に想えるのかも知れない。
どれだけ孤独に打ちひしがれ、心に穴が開いた状態だったか、想像するのは決して難しくないだろう。
彼氏がいようが、友達ができようが、結婚しようが埋まらなかったものがある。
それは母さんとの関係修復によって、埋められたようにも感じる。
今、私がこうしていられるのは、母さんの愛のお陰と言ったら大袈裟だろうか?
とはいえ、わかり合えない部分も多々ある。
尤も、母さんの願いと私の人生は噛み合わないからだ。
貧乏覚悟で、執筆に命を懸ける姿など、母さんは望んでいない。
お洒落して、美味しいものを食べられる環境に身を置くことが、女の幸せだと信じて止まないからだ。
私に関して言えば、酒を飲んだり煙草を吸ったりできるだけまだマシだと思っている。
今までも、どんなに貧しくとも酒と煙草は止めなかった。
基本的に食べることが好きなので、美味しいものには飢えているけどね。
母さんとはわかり合えなくてもいいと開き直っている自分もいる。
お互いを想う気持ちがあれば、それで十分のような気もしている。
唯一無二の存在であることに、変わりはないのだから。
私は私で、昔のように母さんを責めることもなくなった。
共通することは、親子共々社会に上手く馴染めないところにある。
だから、母さんが父さんに不満を抱きながらも離婚できない理由も今となってはわかるのだ。
私は離婚して、自分特有の道を歩き始めたばかり。
恐らく私の生き方っていうのは、誰かに理解してもらうものではないだろう。
ポツポツとわかってくれる人がいるだけ救いなくらいだ。
自分が納得できれば、もう怖いものはない。
あれほど「理解者」を探していた私だが、今となってはそれを求めていない。
ただ、日々の軌跡を残すことにエネルギーを注いでいるだけの話。
とはいえ、作品を読んで共感してくれたら、この上なく嬉しいのだが。
わかってもらいたいという気持ちから、段々と遠ざかって行った理由の一つとして、自己完結がある。
これだ!と決めてしまい、それは揺るがないものへと変化した。
だから、尚のこと、母さんに理解を求めるのは酷だと感じた。
何より大切なことは、私が生き生きとしていることだ。
目がキラキラと輝き、自信に満ち、堂々としていること。
そうすれば母さんはこう思うはずだ。
「あの子の考えていることはよくわからないけれども、人生を謳歌しているならそれで良し」
とね。