nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

確信

東京暑かった!

薄手のセーター一枚にストールだけを巻いて北千住まで行ってきた。

空港からのバスに乗り遅れた母さんは電車で来た。

大きなキャリーバックを持っていた母さんには、しんどい道なりだったそうだ。

疲れたとは言っていたが、私よりは元気だった。

今の六十代ってこんなに元気なんだなと思った。

北千住の丸井前で待ち合わせして、空腹だったのでルミネの最上階にあるレストラン街のタイ料理の店でランチをした。

その後、ショッピングに出かけた。

 

 

私が裏起毛のジーンズを履いていたことから、春夏兼用できるジーンズを探しに行った。

たまたま私の好きなブランドが入っていた店がルミネにはあって、そこでジーンズを一本買ってくれた。

普段、あまりジーンズを買わない私だが、物凄い履き心地が良かった。

酒代に金がかかりあまりお洒落を楽しんでいる余裕のない私なだけに、とても嬉しいプレゼントだった。

また、母さんのお古だが、ペバーミントグリーンのスプリングコートをもらった。

一度母さんの宿泊するホテルに立ち寄って、試着させてもらったら、とてもよく似合うからあげると言われて、もらったのだ。

しかも、私が履いていたブーツがとても野暮ったいということで、靴コーナーを見に行き、パンプスを一足購入した。

確かにブーツよりは履き心地が悪いけれど、母さん的には、そっちの方が似合っていると言ってくれた。

 

 

あらゆることを話した。

お世話になっている方々の写真を見せたり、友達の話をしたりした。

ところがやはり母さんは私の生活面のことが心配らしい。

日々、飲み歩いているようなことは決して言えなかった。

ただ、母さんはこんなことを言った。

 

「あと十年頑張ってみなさい。それでもダメなら札幌に帰ってくるという選択肢があるのを忘れないでね」

 

これは、母さんの愛そのものであると思った。

十年後、私は五十二歳になっている。

 

「今はまだプライドがあって、やりたいこともあるでしょう」

 

流石母さん、わかってくれているのだなと思った。

私の生き方は理解されないと思っていたけれど、なんとなくでも理解してくれているのだなと感じた。

 

また、私が抱えている持病については、それをわかった上で私の面倒を生涯見てくれる人は現れないだろうとまで言っていた。

 

「一人で生きる覚悟を決めた方がいいわね」

 

確かにな、そう思った。

好んで持病持ちの女の世話をしたいという人は、私もいないと思っている。

海外へ行きたい夢はあるけれど、治療が最優先。

海外移住は叶わぬ夢に終わるかも知れないが、旅行はできると言ってくれた。

 

「どこに行きたいの?」

「イギリスかフランスだね」

「イギリスはいいわよ、たぶん合っていると思うわよ」

 

世界を知ることはとても大切だとのこと。

海外移住は難しくても、母さんが元気な間に一緒に海外旅行へ行きましょうとのことだった。

 

 

結局、私は大いなる愛を感じて帰ってきた。

幸い、月曜日、私とランチだけして帰るとのことだった。

良かった、また会える。

途中、悪夢の話になった。

母さんは度々悪夢に襲われるとのこと。

過去のトラウマがそのまま夢に出てくるとのこと。

それを聴いた私は、私もそうなんだよと伝えた。

夢の内容については、残酷すぎて、半分以下しか伝えられなかったが。

しかし、不器用な親子だが、この先はお互いを思い遣って、労わり合って、仲良くやって行けるだろうと確信した。

とにかく母さんには長く生きていて欲しい。

母さんの介護なら、料理一つできない私でもできそうな気がした。

札幌に帰る気持ちはなかなか持てないけれども、もしかしたら母さんは帰ってきて欲しいのかも知れない。

もしくは、埼玉に来たいのかも知れないなと思った。

つまりは、親子は近くにいた方がいいという話。

どちらにとっても言える話。

これから真剣に考えて行かなければならない問題だと感じた。