小説『ロックンローラー』はある意味私の遺書である。
このまま生きていても希望も可能性もないと感じ、全てを一冊に封じ込めることにしたのだ。
散々周囲から馬鹿にされて生きてきた四十二年間。
外見のことで馬鹿にされ、頭の悪さを馬鹿にされ、志まで馬鹿にされ、終いには人間そのものを馬鹿にされ、笑われ、ナメられてきた。
悔しい気持ちはあるものの、嘲笑は自尊心をボロボロにし、生きる気力を奪い、堂々と街を歩けなくなり、逃げるように住む町を転々とした。
ここまで来ると人間は憐れなものである。
極端な性格が災いし、全てを晒してしまうことを決断した。
書くことで始めるのではなく、書くことで終わらせたかったのだ。
何を信じ、何を励みに生きていればいいのかわからなくなった。
やけくそになり、何もかも捨ててしまうことにした。
プライド、恥、女、守り。
怒りとも言えるし、悲哀とも言える。
世の中に対する失望が、私の中にある破滅願望を突き動かしたのかも知れない。
書くしかないと思ったのだ。
私にできることを収斂させるためには、書く以外に何も思い付かなかった。
誰か認めてくれる人がいるような気がしていたが、いないと判断した。
その時点でもう生きる上での望みがなかったということだ。
そんな私は、死ぬか書くかの二択を迫られた。
誰に言われたでもない。
当然のことながら極端な選択しかできなかった。
どうせ死ぬなら、最後の最後に爆弾を投じてやろうと思って書いた。
世の中に問題提起しようとか、救いを求めようとか、そんなことは一切考えなかった。
ただ、死ぬ気になれば何でもできると思った。
ある意味捨て身になったのだ。
つまり、この作品の制作は自殺行為だったということだ。
その代わり、なんの未練も残さないように、徹底的に自分をほじくり返して痛めつけた。
これでもか、これでもかというほどに、自分の心を暴いた。
その結果、完成したのが小説『ロックンローラー』である。
最終チェックの段階に及んでも尚、心が痛み、涙した。
書き終えても未だに放心状態にある。
何のためにこの世に生まれたのか?
そして、書き終えて想うことはただ一つ。
簡単には死ねないということだ。
ただしこれだけは言える。
死ぬ気で書いた作品なのだから、堂々と世間に晒す。
死ぬか書くか二択のうち、「書く」ことを選んだ私はこれからも書き続ける。
くたばって消えるその日まで。
『ロックンローラー』を発表することにより、益々の嘲笑を浴びたって構わない。
死んだように書き続けることはできる。
書ききったことを通じて、腹は据わった。
怖いものがないと言えば嘘になるが、できる限りのことはやった。
泣きながらでも笑えることの背景にあるものは、潔さである。
よくぞここまで書いたと。
唯一執筆中に気づいたことがある。
私は私が認識していた以上に笑いものにされていたということ。
自分ではもう少しまともな人間だと思っていた。
しかし、泥水の中にいても尚、汚れを知らずに生きているからこそ嘲笑を浴びることに繋がるのだと信じたい。
やってきたことはめちゃくちゃだが、この心、汚れなきと思いたい。
もはや、私には「書く」という選択しか残されていない。
学もなければ才能もない私だが、命懸けの戦いの中にいる。
かといって、成功も幸せも望んでいない。
たった一人で生まれ、たった一人で死んでいく、ただそれだけだ。
今の感想を一言で言うならば、「怖い」に尽きる。
長かった孤立が更に長引くのか、恥という概念に耐えられなくなるのか。
これからも嘲笑を浴びて生きて行くのか。
それはとても恐ろしいことである。
きっと、私が消えてもこの作品は消えないだろう。
それだけのものを投じた自負は持っている。