桜も終わりを迎えているけど、大した桜を見ていないので、今頃になって桜が見たいなという精神的余裕が私を襲う。
富山県の桜が咲き始めているくらいだから、関東はもう終わり。
そんなことを感じている自分に気づいた時、長い冬眠から目を覚ましたような気がした。
あっという間に発売日を迎え、私はゴールデンウイークは何をしているのだろう。
そして夏が来る。
その頃はきっと新しい作品のために、準備を開始していることだろう。
それにしても長い長い冬眠だった。
眠りから覚めた私は、やっと音楽を聴く余裕も出てきた。
今聴いているのは、浅川マキの『朝日楼』。
何度も何度も繰り返し聴いている。
この曲は色褪せないで欲しい。
なぜなら小説『ロックンローラー』に最も相応しい曲のような気がしてならないからだ。
この曲は、所謂、ブルースロック。
ロックと聞いて何をイメージするかは人それぞれだが、小説『ロックンローラー』にはこの曲が一番しっくり来る。
この曲を知ったきっかけは友人から戴いたちあきなおみのライブアルバム。
初めて聴いた時に背中がゾクゾクとしたのを今でも忘れない。
これぞ蓮ワールドだと思った。
そう、『朝日楼』という曲をそれまで知らなかったのだ。
小説『ロックンローラー』は、この曲から多大なる影響を受けたと言っても過言ではない。
このように、私は世にある数多くの文学作品よりも音楽からインスピレーションを受けて作品を書くことが多い。
ヴェルヴェットアンダーグラウンドやドアーズもそうだ。
つまり、主人公加奈子の生き様そのものが『ロックンローラー』なのであって、内容はいわゆる革ジャン、ピアス、バイクみたいな王道ロックンロールではない。
だが、これだけは言える。
主人公加奈子の生き方は、男でも決して簡単に真似できない。
全てを捨て去り、裸になった者にしかこの作品は書けないと言っても過言ではない。
浅川マキの『朝日楼』などは、普遍的に生き残っていて欲しいものだ。
実は国分寺へ行っていた。
かつて住んでいた街である。
あれ?
昔の面影が欠片もない、そう思った。
当時は東日本大震災の頃。
かれこれ十年以上前の話だが、あの頃は本当に金がなかった。
だから駅前スーパーくらいしか目に入らなかったのかも知れない。
今見てみると、駅ビルの中に何店舗か洋服屋や雑貨屋などが入っていた。
当時は洋服屋なんてなくて、仕事用の黒いスーツを西友で買ったんだよな、と思い出した。
その向かいにディスカウントショップみたいなものがあった。
駅周辺には食べ物屋さんがズラズラ並んでいた。
私は目を輝かせて、あの店も入りたい、この店も入りたいとなってしまった。
私のイメージとしては、坂を下る時にオリオン座が見える忌野清志郎さんのメッカ。
あの有名な歌にもあるようなあの坂を通って通勤していたっけ。
そんな思い出深い国分寺。
下町っていいよな。
なんせ久々の中央線はテンションが上がった!
小学生の遠足みたいになっていた。
国分寺ではビールを一杯飲んで、フラフラ。
昔、黒のスーツが西友でしか買えなかった想い出がよぎり、なんとも哀しくなったりした。
帰りは乗り換え電車を間違えて、えらい遠回りして最寄り駅に着いた。
帰宅ラッシュに遭い、なかなか座れなかったせいもあり、クタクタ。
でも、行って良かった国分寺。
街って変わるもんなんだな。
昔、行きつけだった南口の焼鳥屋はまだ健在だったのだろうか。
私が住んでいたアパートはまだあるのだろうか。
そもそもまた訪れることはあるだろうか。
国分寺がこれだけ変わってしまったのなら、思い出深い八王子や立川も変わったのだろうか。
数年前に高円寺へ行った時は、ショックを受けたほどだ。
変わらないでいて欲しいものってある。
あの人の優しさみたいに、変わらないでいて欲しい。