橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

動物的勘で行け

ロックンローラー』の制作が終わり、新たなステージに突入した。

何となくスタート地点に立った気分。

暇だったのでミッシェルガンエレファントを聴きながらこれを書いている。

焼きそば&ビールで気合いを入れた。

腹も満たされガソリンも注入したことでパソコンに向かうエネルギーが湧いてきた。

音楽を聴きながら書いても、まともに書けないのだが、書いてみる。

 

 

一度切りの人生とはいうものの、実に多くの出会いや別れがある。

私ぐらいになると、よっぽど気が合わないと一緒に暮らしても楽しくない。

最低限、話し相手くらいにはなれないと。

いやいや、食の趣味まで合う方がいい。

そう考えると、ほんの一握りもいないんじゃないかと思う。

ロックを聴いていると、もう若くはないけれど、若い時のノリでまだまだイケるような錯覚に陥る。

行き当たりばったり、ってヤツだ。

いい大人は、三ヶ月後のことも考えて節約したり貯蓄したりするだろう。

いや、老後のことまで考えているだろう。

ところが私は「運」のことしか考えていない。

身軽になればなるほど、運は上昇すると思っている。

これからは、『ロックンローラー』を広めること。

なぜなら、この本を待っている人が大勢いるからだ。

今から体調をコントロールして、抜群の仕事ができますように。

私なら大丈夫。

先々の不安がよぎっても、それを跳ね除ける力は十分にある。

苦悩の先にしか光はない。

 

 

そもそも誰一人幸せにすることができないヤツはそれまでだ。

私は実生活に於いては、私がこんなんだからなかなか一人の男を幸せにするには至らない。

しかし、私の最大の武器は「書く」ということだ。

私が書く文章には、日々の投稿だろうが本だろうが、確実に需要はある。

そしてそれはどこかの誰かのためになっていると信じて止まない。

私は家事はできないし、社会にも適合できない。

けれども、橋岡蓮の存在を求めている人は必ずいる。

数字に表れるものでもなく、目で見えるわけでもなく、肌で感じるものだ。

そのような動物的勘が働くうちはまだまだイケる。

世の中には、自分の需要を肌で感じられる人がどれだけいるだろう。

多くの人が誰かに必要とされたいけど、その手段が見つからないのではないだろうか。

そういう意味では、私は強い。

座職なので、身体が動かなくなっても、少々体調が悪くても、気持ちさえピュアでいれば書き続けることが可能。

むしろ、私はどこへも行かず、ここで書く。

両親がいる札幌っていう街は、良くも悪くも、私を穏やかにはさせない。

札幌では、様々な経験を積んだ。

その分、会いたくない人が大勢いるわけで。

自意識過剰かも知れないけどね。

 

 

また取り留めのない話をズラズラ書いてしまったが、何が言いたいかってこういうこと。

頭で難しいことを考えるのではなく、動物的勘で生きている私からすると自分の守り方も熟知しているという話。

自分にとって何のメリットもないけれど、一緒にいて落ち着くというただそれだけの理由で会いに行くこともある。

逆に、絶対一緒にいた方が得なんだけど生理的に受け付けなかったら一緒にいられないってこと。

そりゃ、チバユウスケみたいな人のYouTubeなら有料でも観てしまうだろう。

逆に、金貰っても観たくないものもあるわけで。

私の周りは極めて狭いのだが、もっと狭くてもいいのかも知れない。

大事にするべき人のことは大事にするけれど、私は想像以上に不器用で自分に正直なので、おべんちゃら使うと顔が引きつっていけない。

金のために我慢しながら生きる歳でもない。

これを読んでくれている人達だけでいい。

団結したら、凄いエネルギーになるんだろうな。

とにかく私は書き続けるので、これからも宜しく。

では素敵な休日を。