nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自分を信頼すること

用事があって都内まで行って、有楽町で軽く晩ご飯を食べて帰宅したところだ。

Tシャツにジャケットを羽織っていたのだが、暑かったのでTシャツ一枚になって帰ってきた。

有楽町ではほとんど飲んでいないので、飲み直そうと思ったが、また眠たくなりそうなので、飲む前に書くことにする。

日付が変わる前に眠りたい。

来週は、なんやかんやと用事が沢山あるのだが、発送作業が追い付いていない。

レターパックを買い占めてきても足りず、お待たせしてしまっている方もいるので、まずはそれを最優先したい。

今月もあっという間に終わっていく。

気を緩めず、一つ一つこなして行こう。

 

 

私のパソコンデスクの周りが本だらけになってきた。

今月に入って、何冊か新たに購入したためだ。

読む余裕もあまりないのだが、買ってしまえば私の物になる。

そうすれば、いつでも好きな時に読めると思って買い溜めしてあるのだ。

読破したのはチバユウスケの詩集くらいなものなのだが。

ロックンローラー』の感想は、私の元に寄せられている。

ほとんどの方が一気読みしてくださったそうだ。

今のところ女性の方が多く、自分と主人公を重ね合わせて考えてくださったようだ。

買ってくださったのは、男女半々である。

男性にとっては、主人公加奈子はどう映るのか。

感想を聴けるのが楽しみである。

 

 

一年後、私は何をしているのだろうか。

来年の今頃も新しい作品創りをしていられるご身分なのだろうか。

ロックンローラー』の原稿をどこかの出版社に買い取ってもらい増刷することは可能なのだろうか?

未発表作品にこだわるところが多いのだろうか。

その辺については、無知である。

色々と調べて、道があるのなら突き進んで行きたいと思っている。

私のような生活を送っていると、一年後というものは予測不可能である。

どう転ぶか、全くわからないからだ。

楽しさ反面、不安も付きまとうわけだが、なんとかなっているだろうという根拠のない自信もあるわけで。

必要なのは、自信ではなく「自己信頼」とも言われる。

 

 

自分を信頼することって、難しいようで簡単だと私は思う。

私は自分のことを腹の底から信頼している。

なぜなら、自分が傷つきやすい分、なるべく人を傷つけないようにと配慮しながら生きているからだ。

私がキツく当たる人っていうのは、私のことを信頼していない人。

そして、勘違いしている人だ。

間違っていることを教えてあげようとして、ついついキツくなってしまう。

そうじゃない人に対しては、私は自分から折れる。

歯向かったり、対抗したり、仕返ししたりすることがない。

嫌がらせされても、嫌味を言われても、割とスルーしている。

そんな自分のことを私は信頼している。

気難しい面はあるにせよ、私みたいなヤツだったら友達になれるよな、と思ったりするからだ。

同時に、自分の行いについても信頼している。

自信とは掛け離れているかも知れないが、この道を歩む者として間違ったことは一つもしていないだろうという自負がある。

直向きに、真面目にコツコツ愚直に生きている。

失敗だったと思うことは多々あれども、疑う余地がなかったのだから仕方がない。

騙されても私は騙さない。

馬鹿にされても私は馬鹿にしない。

その積み重ねが自己信頼に繋がっていると思っている。

また、可能性を信じる気持ちも、自己信頼である。

分かり易く言うならば、私は私のことがとても愛おしいのである。

周りからすれば扱い辛いかも知れない。

しかし、私を馬鹿にすることはあっても、私に傷つけられることはないのではないだろうか。

どんなに自分が傷ついても攻撃したりしない姿を客観視した時、自己信頼は生まれるのである。

要は、安心できるということだ。

あくまでも私の場合に言えることだが。