打ち合わせから帰ってきて、ポストを見たら「浅川マキ」のCDが届いていた。
早速流しながらこれを書いている。
陽が沈むにはまだ早い。
とはいえ夕方だ。
これから資料作成をしなければならないので、急いでいる。
浅川マキは『夜が明けたら』を歌っている。
実に渋い。
せかせか仕事をするのには向いていない。
気怠い音楽を酒でも飲みながら、布団の上でゴロゴロしながら聴きたい気分。
寝不足によって、精神が不安定になっている。
浅川マキは仕事をしながら聴く音楽ではないような気がする。
全然ヤル気が出ないのだが、やらないわけにもいかない。
打ち合わせでカルボナーラを食べたのだが、自宅に帰っても何もないし、夕飯を作るのも大変だから「富士そば」でとろろ蕎麦を食べてきた。
可もなく不可もなくという感じだったが、生ビールが安かったので飲んでくれば良かったと思っている。
まさに立ち食い蕎麦といった感じで、食べたら即行で店を出た。
安い分、ゆっくり蕎麦湯などを味わうことはできなかった。
上野駅前の喫煙所で空を見ながら一服して電車に乗った。
その時は満腹だったのに、帰ってきたもう既に何か食べれそう。
狂った胃袋と満腹中枢が悩ましい。
さて、ちまたはゴールデンウイークに突入するのか。
私はあまり関係がないのだが、ポツポツと予定が入ってきて嬉しい。
全て飲みの予定なのだが、全部楽しみだ。
天気はどうなのだろう。
調べてはいないが、浅川マキを聴いていると雨の日があっても悪くないような気がする。
雨の日はそれはそれで楽しめる、そんな気分だ。
ゴールデンウイークとなると休みの人が多いので、予定が組み易いというのもある。
実にありがたいことだ。
ゴールデンウイークに『ロックンローラー』を読んでもらいたいので、発送手配を早く進めなくてはならない。
『ロックンローラー』を読んでくれた方とは、距離が縮まると思っている。
現に信頼関係が増したなと思う方もいらっしゃる。
私って、私の本を読んでくださった方と信頼を構築したいのかも知れない。
寂しがり屋だからではない。
奇跡的に繋がってくれた方のことがとても大切だからだ。
真っ暗な部屋で浅川マキを聴きながらこれを書いていたのだが、流石に照明を点けた。
カーテンが開いていたので慌てて閉めた。
蓮さんの作品は誰のものでもなく蓮さんのものである。
打ち合わせで先方様が言ってくれた言葉。
そう思っていたのは私だけではなく、他にもいたんだ!ということに安堵を覚えた私。
それは紛れもなく私への敬意であり愛なのだ。
私の読者の方っていうのは良くも悪くも、激しく蓮さんの味方である。
皆それぞれ顔も名前も知らないけれども、一体感みたいなものがある。
皆さん、私のことをよくご存じで、私が違うと思っていることは、皆さんも違うと思ってくれっている。
そんな安心感の下で、私は私らしく自由に生きることができている。
私を利用しようとしている人がいるとすれば、それは不毛である。
こうやって本を発売するということは、目には見えない団結力が高まることでもあるわけで。
つまり、私を応援してくださる方が確固たるものになって行くというわけで。
その威力には太刀打ちできないということだ。
言っている意味がわからない?
私と私の読者の方がわかっていればいいのさ。
私が推奨するのは、あくまでも個人主義。
しかし、大家族精神を推奨する人もいるよね。
家族だから応援するのか?
その作品が良かったから、その人のことが好きだから応援するのではないか?
個人として立ちはだかろうとしている姿を見て共鳴するから応援するのではないか?
他人同士の家族って、何を以て家族とするのだろうか。
それが私にはわからない。
だから正直に書いている。