ゴールデンウィークも始まったが、私は雨の中私用で出掛け、買い物をして帰ってきた。
あまりにも寒かったので、ラーメン屋に寄った。
広東麺を食べたが、安いのに美味しかった。
ドラッグストアで傘を買って、家に着いてから夕方母さんと電話をした。
「四十歳過ぎた人にこんなこと言うのもなんだけど、自分のために生きることよ。アンタに寄ってくる男の人はアンタを下に見て馬鹿にしているじゃない」
自分のために生きる…。
確かにそうだ。
誰かに頼ってはならぬ。
自分のためだけに生きることは難しいことではない。
そうそう、私の元に歩み寄ってくる人はあたかも俺の奴隷になれと要求している。
私が違和感を感じて身も心も委ねなかった時、コロッと変わって、冷たくナメ腐った態度を取られたりした。
そんなことはあってはならないことだ。
私は未だに自分を大事にするという概念が薄い。
ピンと来ないのだ。
私にとって自分を守るというのは、外敵を遠ざけることである。
傷つく恐れがある人には近づかないということだ。
どういうことかというと、私に敬意を持っていない人とは付き合わないということでもある。
下心で近づいて来ているのか、それとも本当に親し気に歩み寄ってきているのか、見極めが非常に難しいのだが。
ただし、何気ない表情から敬意なんてものは更々なく、むしろ悪意を抱いていることくらいわかる。
悪意とは、私に裏切られた腹いせでもある。
私としては裏切ったも何も、興味関心が持てなかっただけである。
要は、その人に魅力の欠片もなかったということだ。
それなのに全ての原因を、私のずぼらさや、自己中心的なところを理由にするところがズルいのだ。
自己中心的になったのは、愛情がなかったから。
誰も悪くない。
言っていることが難しいか?
生活のことや活動のこと、私にも色々あるが、私を下に見て馬鹿にしているような人に何もかも許すわけがない。
だから私は何も間違っていないし、神に背いてもいない。
自分だけの感性に従ったまでなのである。
誰のことも傷つけてはいないし、裏切ってもいない。
つまり、責められる筋合いなど全くないのだ。
メソメソする必要もなければ、うざったく思う必要もない。
ただ単純に、相手から身を守ったことは自分を大事にしたことに繋がるのではないか。
即ち、自分を大事にするという概念が薄いと言いながら、ちゃんとできているではないかということだ。
だったら、天を仰いで喜べばいい。
私は私をちゃんと守ることができたんだなってね。
私って云う人間は何も持たないが、ちゃんと神から選ばれて生まれてきたのだと思っている。
自傷行為に近いような行動があったかも知れないが、自分の心だけは誰にも渡さなかったはず。
だからこそ小説『ロックンローラー』が書けたし、共感して頂けるのだ。
そこはある意味謙虚になったりせず、自信を持って良いのではないか。
なぜなら、自信のない人からは誰も商品は買わないだろ?
是非お薦めです、そう言えないでどうするのかと私などは思う。
この作品を制作するために今までの人生があり、ここから先は次の作品を制作するためにある。
前作同様、今回も思い切って発売して本当に良かったと思っている。
下に見て馬鹿にしているヤツは、むしろ読まなければいい。
そんなヤツにこそ読んでもらいたいと書いたことがあるが、作品が勿体ないし、理解できないだろう。
私にはわかる。
誰もがこの作品を読むのには覚悟がいるのだということが。
私を下に見て馬鹿にしているヤツらの手元に本が届いたら、私は悪いけど高笑いしてやる。
それ見たことかとね。
私はそういう奴等をぼこぼこにしてやることはできないが、たった一人で天を仰ぐことはできる。
良くも悪くも、孤独な私はそういうヤツ。