nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

挑戦は続く

この世は狭いようで広く、私の日々の投稿が一日の活力になっているという奇特な人もいる。

どちらかというと私は調子に乗り易いので、今日も張り切って書こうと思う。

前々から言っているように、私は生きているだけで人に希望を与える。

なぜなら、いつも言っているように優等生とは真逆な人間だからだ。

それを社会不適合者と呼び、同士を募ったが全く人が集まらなかった。

私からすると、才能がありながら上手く社会に適合できていない人もいるが、そういう人は自分のことを社会不適合者だとは思っていない。

じゃあ何て言えばいいのだろうか。

優等生とは真逆と言えば、俺のことって思ってくれるのだろうか?

そういう者同士、私が流すナンバーで酒が飲めれば最高なのにな。

実は、今企画していることがあって、蓮’sBarをやりたいんだけど、インスタライブだと著作権の問題でできないからいい方法を模索中。

毎日好きな曲流して酒飲んでいるのはいいのだが、盛り上がりたくなるのだ。

生まれ変わったらDJになりたい。

今からDJにはなれないけれども、同士で盛り上がることはできるのでは?

 

 

今はねぇ、ミッシェルガンエレファントを聴いている。

ちょうど空き瓶や空き缶を捨て、スッキリした部屋を思いっきり暗くしている。

外は小雨。

だから出掛けたくない。

なぜならお気に入りのワンピースが水溜まりで汚れたら困るからだ。

この歳になったらもう脚が綺麗だねとは言われないのでミニスカートは履かないが。

先日も書いたが、段々と褒められることが減って行くので、褒めてくれる人のポイントは高い。

沖縄の私の祖父は、祖母のことを常に褒めていた。

今日も綺麗だよ、いつも綺麗だよ、ってね。

だから私の水準は常に祖父なのである。

女を女でいさせてくれる男が最もいい男だと思っている。

周囲を見渡せば、褒め上手な人って本当に少ない。

なぜ?

照れてんのか?

それとももう私は褒められるに値しないのか。

もし仮にそうだとしても、私の内面くらい褒めてよって思う。

私としては、この世が全員私だったらめっちゃ平和でハッピーだと思うから。

 

 

チバユウスケの歌声を聴きながら、文章が書ける幸せこの上なく。

とある先生から先日こう仰って頂いた。

 

「蓮さんは行動力がある」

 

なんて嬉しいお言葉!!

別に私のことを可愛い綺麗なんて言う必要はないけれど、そういう褒め方だってあるんだぞって伝えたい。

そうそう、私には書いて本にして売るという凄まじい行動力があるのだ。

私より文章力がある人がウヨウヨしている世の中だが、その大半はそれを形にしない。

だから私の行動力は高く評価されるべきだと思っている。

ド素人なのに一定数のファンがいて、書いたものが評価され、感動してもらえるという事実。

以前も書いたが、あぐら掻いている作家先生方は、マジで焦った方がいいと思う。

なぜなら言うまでもなく私みたいな人がいるからだ。

多くの作家先生だって出版社に支えられて生きているんじゃないの?

私みたいに何の後ろ盾もなく、たった一人で活動を続けている人に敵うわけがない。

もし私みたいなヤツに後ろ盾ができたら、千人のファンが百万人のファンになることだろう。

最初から出版社のお世話になっている奴等とはわけが違う。

そういうことが言いたい。

一見すると後ろ盾がある人の方が力があるように見えるだろう?

だけどそうじゃないんだって云うことが言いたい。

とはいうものの、『ロックンローラー』は出版社に買い取って頂きたいのだ。

なぜなら、私はVIPじゃないからだ。

日々の煙草代と酒代を捻出するだけでいっぱいいっぱいで、何万部も増刷できない。

読んでくれた方よ、小さな世界にこの作品を留めておくのは勿体無いと思うだろ?

だから、つまり、私の挑戦は続くってことだ。