橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

噓の愛の囁き

浅川マキが流れる薄暗い部屋で、トリスハイボールを飲みながらこれを書いている。

前日安酒ワインのせいで吐いてしまい、気持ち悪くて寝不足なのだ。

トリスハイボールを一本空けただけで今にも寝てしまいそうなのだが、最後まで今日もがむしゃらに書く。

久々に焼肉を堪能して大満足だ。

雨だったけど、雨はなんとなく私を鎮静させてくれる。

浮足立った気持ちではなく、大人な私にしてくれる。

とはいえ、毎日雨だったら憂鬱だけどね。

部屋では暖房を付けている。

もう少しで六月になるっていうのに。

 

 

先日も書いたが、新作を書くことにした。

恐らく来月から執筆することになるだろう。

発表には一年以上掛かる。

ロックンローラー』だって、長い年月が掛かって完成したものなのだから。

次作の構想はある。

だけど私の願いとしては、『ロックンローラー』を超える物語を生み出さなきゃならないと思っている。

坂口安吾だっけな?

太宰治太宰治の人生ドラマを生きたがゆえ、あのような死に方をしてしまったとのこと。

私は太宰治をこよなく愛する一人ではあるが「生きる」ことがテーマになっている。

つまり、生命力とかハングリー精神とか、そういうものを描きたいのだ。

だからあまり太宰治の影響は受けていない。

優しさや愛を描いている。

世の中には、なんでもかんでも斜めからしか見ることができない人がいる。

私はそういう人のことを嫌いになることはないけれど、真正面から受け止めればいいじゃないかと思うことがある。

例えば、私に好意を寄せてくれる男性がいるとする。

その彼の気持ちを私は疑ったりしない。

応えられるかどうかは別にして、ありがとうでいいような気がしている。

嘘か本当か、そんなことは大したことではないと思うのだ。

仮に嘘だったとしても、私は許す。

それは一瞬でも幸せな気持ちにさせてくれたからだ。

だからそれでいいじゃん、って思うのだ。

 

 

嘘でもいいんだ。

愛を囁かれたいお年頃。

ジムモリソンも言っていたけど、「名声は心地よい」のである。

私は甘い文句を囁けるヤツは天才だと思っている。

なぜかって、囁けないヤツが五万といるからだ。

好きなら言ってくれればいいじゃん、そしたら応えるのに、みたいなね。

確かに男女の関係は、そんなに単純ではない。

関係性とか立場で、上手くは行かないこともある。

私が振られるとしたら、この極端な考え方と性格。

そして煙草と酒かなぁ。

たぶん、極端な性格には着いてくるのが大変だろうし、たまに相手が憐れに思えてくる時もある。

だからたまに私は自分のことをクズと言う。

ぶっちゃけ皆にメッセージを送ったり新作を書き続けたりすることはできても、一人の男を幸せにする自信がないのかも知れない。

だからこそ、愛を囁かれたら嘘でも嬉しいという話。

こうしてたまに気持ちが落ちちゃうのも極端な性格なんだろうな。

 

 

ただ、この人にとって私は自分のことより大事なんだなっていうのはわかる。

逆にこの人は私のことより自分のことが大事なんだっていうのもわかる。

私はと言えば、心底相手を幸せにしてあげたくても、方法がわからなかったリ想いが届かなかったり。

そして一番大事なのは読者の方なので、男はそれを理解している人でなければダメだったり。

その人が私にとっての読者の方だったら一番なんだけど。

中には死んでも橋岡蓮の読者でいたいって言う人もいる。

それも嘘か?

おいおい、そこまで人間を疑っていたら生きるのが辛いでしょうに。

私は自分が気分良ければ、ぶっちゃけ見抜けなくたっていいと思っている。

口説かれる時、本当か嘘か考える女って損しているように感じるのは私だけだろうか?

素直にとろけていればいいんじゃないの?

女にとって愛の囁きなんて、滅多にあることじゃないんだから。