帰宅。
日付が変わる前にこれを書く。
自分が酔っているのか酔っていないのかわからないが、帰りにラーメンを食べてこなかったということは酔っていないのだろう。
濃い目のレモンサワーを結構飲んだ気もするが、余裕で書く元気は残っている。
北千住は勝手に「庭」と呼ばせて頂いている。
電車で十五分程度の距離で、度々訪れるからだ。
今回の北千住も私には眩しく映った。
喫煙可能な二十四時間営業の店を発見し、また来ようと思った。
帰りは肌寒かったけど、急いで帰ってきたら奇跡的に二十三時前。
よし、気合い入れて書こう。
とはいうものの、何を書いていいのか閃かない時もある。
もしかしたら、眠たいせいで頭の回転が鈍いのかも知れない。
たまにこんな質問をされる。
「蓮さんはどうして孤独を乗り越えることができたのですか?」
それに対しての答えはこうだ。
「自分を信じる気持ちが強いからです」
処女作『破壊から再生へ』にその辺は事細かに書いてあるのだが、私の場合、自分を信じる気持ちが異常に強い。
なぜなら、法律や常識ではなく、自分の良心との対話で生きているからだ。
それが時には不倫や犯罪に及んでしまったとしても、自分の中にいる神に従って生きているので、どこか自信があるのである。
これは精神論の話かも知れない。
本当はこうしたいのに、世の中がそうさせてくれないということが私にはない。
とはいえ、過去は散々労働をしてきた。
ところが、それは私が労働をしたかったからしていたのであって、世の中から無理矢理させられていたものではない。
労働に美学と喜びを感じていたからこそ、全力投球し、いい汗を流してきたのである。
こき使われることすら、私にとってはかけがえのないことだった。
今は、肉体労働を卒業して、頭脳労働をするようになった。
ただそれだけの話。
来月からは、編集校正や、本のプロデュースの仕事が待っている。
これについては、担当できることにとてつもない喜びを感じている。
それに加え、私の新作の執筆に取り掛かる。
ちょっと忙しくなるが、遊んでもいられない。
話は戻るが、やはりこの世は孤独な人で溢れているのかも知れない。
だからこそ私の処女作『破壊から再生へ』は受け入れてもらえたのかも知れない。
なぜなら、私が男っ気もなく、友達もおらず、たった一人で過ごした時期に書いたものだからだ。
一人、アパートで何を考え何を想ったのか。
そこには孤独から這い上がるヒントが詰まっている。
今は、その本は翻訳者の方に翻訳してもらっている。
海外出版するためだ。
数社に企画書や職務経歴書をお送りさせて頂いたのだが、返事待ちである。
私の予想では、新人賞の発表と海外出版は同時に来るのではないかと思っている。
つまり、来年だ。
一つ一つコツコツやっていれば、必ず大きなチャンスが来ると思っている。
チャンスを物にするために、私は雇われるということを捨てた。
毎月一定の給料をもらうようになっては、神様は安心して、私からチャンスを遠ざけると思うからだ。
カツカツでギリギリの生活を続けてこそ救いの手が差し伸べられるだろう。
子供も旦那もいない私にできることは、身の回りを至ってシンプルにすることくらいだ。
どんなことがあっても安定からは遠ざかり、崖っぷちを歩く。
そして、文章に関わる仕事以外はしないということだ。
少しずつ実績を積んで、信用されるようになるまで私は諦めない。
三年後、五年後、五十歳になるまでには形にできるようにしたい。
そんなことを真夜中に考えている私は、ある意味特殊。
だが、いつも言っているようにこれを書かなければ寝られない。
この文章は、私にとって日記でもあるが、単なる日記でもない。
読んでくれている全ての人へのメッセージであり、活力にして頂ければ幸いである。