気が早くて大変申し訳ないのだが、私の周りでは『ロックンローラー』の映画化の話で盛り上がっている。
主人公加奈子は誰が演じるのか?
知性と不良性、純粋さを兼ね備えた女優は存在するのか?
金は誰が出すんだ?
増刷代は自腹切ったけれども、映画制作費は私は出さないぞ。
となると、頭に浮かぶのが「角川映画」の文字。
かの有名な角川映画である。
本も映画もミリオンセラーを飛ばすという、あの角川映画だ。
『ロックンローラー』なら、実現しそうな気がする。
何事もプラスのことばかり言っている方がいいらしい。
どうせ実現しないだろうと考えるのではなく、きっと叶うだろうということしか口にしてはならないのだ。
私は『ロックンローラー』が安っぽくなるくらいなら映画化などはしなくていいと思っている。
あくまでも映像化することによって、重みが増すくらいでないと。
となると、監督は責任重大だ。
私も原作者として口を挟みたくなるかも知れない。
先にも述べたが、問題は主演女優である。
知性と不良性を兼ね備えた女がいるのか?
知性と不良性、どちらかが欠けてもダメである。
『スローなブギにしてくれ』という映画をご存知だろうか?
昔の若い浅野温子は適役だと思った。
最近の役者はあまり知らないので恐縮だが、もうこうなったら、最新のメイク技術を用いて、私が加奈子を演じようかな。
私に変わる女優がいるとは思えない。
現実的な人は、蓮さんは何を夢見ているんだと思っているだろ?
いやいや、もはや夢ではなく現実なのだ。
信じる者は救われるという時代は終わった。
思考は現実化すると言っても説得力に欠ける。
時代が私にやっと追いつき、私を見つけ、大いに私を利用するようになるだろう。
今後出す新作は全て、映画化され、ベストセラーになる。
ただし、私は赤塚不二夫先生が憧れなのである。
畳の上で毎晩酒を飲み、万年床で眠り、ペンを取る赤塚不二夫先生はユーモアと愛嬌で溢れていた。
私もそうでありたいと思うのだ。
いるいらないの問題ではなく、似合う似合わないの問題である。
高級リゾートホテルなんて私には似合わない。
温泉街にある民宿や赤ちょうちんが私を待っているように、路地裏に橋岡蓮ありきである。
決してケチっているのではない。
私も皆も納得する姿であるべきだ。
もう一つの問題は、『ロックンローラー』は何かと際どいシーンが多いのだが、それらはどうするのかといったことだ。
男優は誰がやるのかも重要である。
女優と男優に全てが懸かっていると言っても過言ではない。
そう、男優は任侠を持っていなければならぬ。
いや、そこを大切に演じきって欲しいのである。
この手のことは蓮さんの勝手な妄想だと思うかも知れないが、私の周りでは真剣に討論されていて、角川文庫の新人賞を狙おうかという話まで持ち上がっている。
本気なのだ、リアルなのだ、現実なのだ。
そう考えると、増刷の話なんてちっぽけで当たり前すぎて、恥ずかしくなる。
私よ、自信を持て!!!
安心してリスクを背負って増刷せよ!!!
絶対大丈夫だから。
そう考えると、期待だけは背負っているよなということを痛感する。
なんとかこのテンションとモチベーションは維持したいものだ。
私のみならず、応援してくださる全ての方にとってもだ。
先ほど、増刷代をお振込みしてきた。
第二ラウンド突入だ。
見えてきた、見えてきた。
レモンサワー飲んでいる場合ではない。
愛する者のために、愛される者は働くべきである。
とりあえず、今日もチンタラ肩意地張らずに頑張ろう。
なぜなら、どこかの誰かは私のことを愛しているからだ。
もうね、この際結ばれるか結ばれないかは考えない。
仮に結ばれなくても、愛を感じていられるうちは大丈夫。
誰かが言っていた「忍ぶ恋」ってこういうことなのかね?