橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

贅沢な女

ある程度先が見えてきた。

なんとかなりそうだ。

私の考え方は変わらない。

リスクを背負った者にしかリターンは来ない。

学歴も経歴もない私は、できることが限られている。

楽ならいいというものでもない。

傷ついている者を抱くこともできない。

常に無力感はあるのだが、センチメンタルに浸っている暇もない。

できることを探してやるしかないって話。

決して辛い仕事がしたいわけではないけれど、人が嫌がることこそやってみる価値はあるような気がする。

なぜなら、運を手繰り寄せることができるからだ。

北野武へのインタビューで、成功の秘訣を訊いたらこう答えたそうだ。

 

「トイレ掃除」

 

そのくらいのことなら私にもできると思った。

そうやって人が嫌がるようなことを進んでやることしかないよなって話。

 

 

そもそも私は贅沢な女かも知れない。

チヤホヤされて生きてきたわけではないけれど、普通じゃ満足しない。

ケチな男は嫌いだし、豪快に飲ませてくれる男にはついて行きたくなる。

まぁ、多くの女はそうなんだろうけどね。

一方で私は愛に飢えていると感じることもある。

なぜかというと、相手からしたら当たり前のようなことに深く感動し、涙することもあるからだ。

なぜ私はこんなに些細なことが胸に響くのだろうかと。

決して繊細なのではなく、愛に飢えて生きてきたからだと言い聞かせている。

そう考えると贅沢な女でもないような気もする。

ところが自宅で音楽を聴いていたりすると、その辺に転がっているような音楽じゃ満足しない自分に気づく。

食べ物一つ取っても、金もないくせに舌が肥えているので美味しくないと嫌なのだ。

例えば男の優しさに関しても似たようなことが言える。

たぶん、心配してくれる人だけじゃ満足しないのだと思う。

もっと、もっと、もっとだ。

私が年甲斐もなく夢見る夢子なので、夢を見させてくれる人じゃないとダメ。

将来の話をしてくれる男を見ていると、目が輝いている自分に気づく。

大それた話じゃなくても、いつか一緒に沖縄へ行きたいね!くらいのことでも私はウキウキワクワクする。

現実的な話は、心の疲労が溜まる。

節約しろ、あれはダメ、これはダメ、堅実に生きろと言われると途端に会いたくなくなる。

今度美味しいものを食べに行こうよ、と言ってくれるだけで猫みたいになるのに。

抱きしめてあげたくなるのに。

 

 

結局のところ、私という女は贅沢な女なのか愛に飢えた女なのかわからない。

一番の原因は、今に至るまでにいい想いをし過ぎてきたのかも知れない。

超美味しいものを食べさせてもらって、高い酒を飲ませてもらって、夢や将来を語り合えるような希望に満ちた交際をしてきたからかも知れない。

とはいうものの、その人には奥さんがいたり、仕事が忙しすぎたり、寂しい想いもしてきたわけで。

やはり意気投合するのは、私の生き様に共感し、応援してくれる人である。

私が頑張ろうとしていることに協力し、背中を押してくれるような人に感謝する。

だからそういう人の言うことなら、何でもすると言っても過言ではない。

私を操ろうとする人には反発するのだが、心のどこかでは上手く躍らせて欲しいと願っている。

まぁ、そういう人がいればとっくに結婚しているのだが、そういえば離婚してまだ半年経ってなかったっけ。

今想い出したけど、女は離婚から一年間経たないと再婚できないんだった。

私としては一人の男だけで一生を終えることに満足できないのだが。

なんて調子のよいことばかり今日も書いた。

調子に乗っているくらいじゃないと、やってられない。

自分を上げるも下げるも自分。

自分のテンションくらい自分で上げていかないと。

 

image