nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

心はいつも傍に

雨の恵みでかなり涼しく、過ごしやすくなった。

土砂降りの日は避けて用足しをしたいところだ。

雨の日のお出掛けもいいんだけどね。

二日酔いになるのが怖くて、酒を飲んでいない。

ビールは飲んだけれど、ビールは私にとって酒のうちに入らない。

やはりワインかウイスキーなのだが、酔うのが嫌で買いに行っていない。

冷蔵庫の中にはトリスウイスキーが入っているが、炭酸水が無い。

どうしようか悩んでいるうちに、これを書いてしまうことにした。

とはいうものの、昨日も書いたが、パソコンに向かう作業は私にとって心の安定を得られる貴重なもの。

かといって、ネタがないとそれなりに苦しむのだが。

 

 

いや~、それにしても考えさせられる。

何を信じて、何を疑えばいいのかわからない世の中である。

人を信頼できる力を才能と呼ぶ人もいる。

「信頼の神様」と言われるくらいだから。

何事も疑ってかからずに、真っ直ぐ相手を見つめられる人はとても美しく、それだけで尊敬にも値するものだ。

しかし、この世は狭いようで広く、平和に暮らしている私には見えない世界があるもんだ。

私はどちらかといえば、まず信頼から入る方である。

ところが最初は良くても付き合いをしているうちに面倒臭く感じたり、こりゃ付き合いきれないなと判断した場合はぶった斬ることもある。

そんな中で残った人のことを「友達」と呼んでいるのだが、中には友達って何なんだろう…と思い悩んでいる人もいる。

 

 

あくまでも私の場合だが、友達とはいえ所詮他人である。

それを踏まえた上で、相手が困った時も離れて行かないのが友達だと思っている。

傍にいてあげる、話を聴いてあげることしかできないが、できることだけをすればいい。

自分が一番可愛いのは人間皆一緒。

いや、自分が一番可愛いのではなく、自分を守ってやれるのは自分しかいないから、他人に構いきれないことがあるというものだ。

それでもやはりありがたいのは聴き上手な人。

アドバイスなんてものはそれほど求めていないし、何か助けてもらおうとも思っていない。

一番は、心はいつも傍にということかな。

 

 

言っていることが回りくどいだろうか?

もっと単刀直入に言うならば、傍にいることならできるということだ。

もっともっと言うならば、傍にいることしか我々人間にはできないのだと思っている。

どんなに金があっても、人の心は救えないもの。

逆に金はなくても、その人の気持ちを汲み取ってあげることはできるのではないだろうか。

私の場合だが、困っている友達がいてもアドバイスなどしない。

本人と同じように胸を痛めることもできないのだが、とにかく話を聴いて、吐き出させてあげたい。

恩着せがましく、傍にいるよ、などとも言わない。

ただ、心はいつも傍にいて、離れていても祈ること。

それに尽きるんだよな。

 

 

私が望むのも同じこと。

話を聴いてくれるだけでいいのさ。

調子が良い時だけではなく、どん底にいる時も傍にいてくれた人のことを心の底から大事にする。

何なんだろうね?

世間とやらは、調子が良い時は仲間だの味方だの言って来るクセに、どん底に堕ちた瞬間サーーーーーーッと離れる。

これ、私も経験させられたことが多々ある。

十年以上前の話だが、その頃から人間というものに期待してはいけないのだと悟った。

北野武氏曰く、人が困った時は手を差し伸べるが、自分が困った時は人を頼ってはならないのだと。

まったく同感。

ただ、これって人から教えられるものではなく、己の頭で考えて身に付けるものなのかも知れないね。

こっちがこれだけしてやったのに、みたいなことを言う人は一刀両断でいいと思う。

そんなことを言うヤツにはロクな人はいないから。

恩なんてものは相手が忘れなければいいものであって、差し出した本人はさっさと忘れるべきだと思う。

とにもかくにも私は益々、投稿をサボってはならぬと心に誓った。

電話だってし辛いからね。