具合が悪かったのだが、なんとか復活。
木曜日は面接を受けさせてもらうことになった。
仕事内容は、リハビリセンターでお年寄りと体操をする仕事。
在宅ワークも色々あったのだが、私には人と触れ合う仕事の方が向いているような気がした。
スポーツジムの会員になってヨガでもやろうかと考えていた。
しかし、仕事で身体を動かしている方が一石二鳥ではないかと考え直したのだ。
リハビリセンターにいるお年寄りと一緒にする体操なら、さほど辛くはないだろう。
むしろ、楽しそうな気がした。
中には色々と指摘してくれる人もいるが、その人が生活費を出してくれるわけではない。
自分にできる仕事をコツコツとやるしかないではないか。
もっともっと上を目指せと言う人もいる。
それはそれでありがたいことだが、どうなんだろう。
私がバイトしようとすると、必ず喧嘩になったりする。
それが段々と嫌になってきた。
そして泣きたくなってきた。
豪遊したり、馬鹿みたいにリスクを取りに行ったりしているように見られているようだが、そうでもないというのが私の主張。
なぜなら、豪遊したり高いリスクを取りに行けるほど稼いでいないからだ。
確かに金もないくせに離婚したり、自費出版したりすることに対して疑問を抱く人がいるのかも知れない。
ただ、私はこう思うのだ。
人と同じことをしている人なんて、どこに魅力があるというのだろうか?
良識とか常識とかで考えれば、私の思考や言動は突飛かも知れない。
じゃあ、マジで私が何かしらの成功を収めた時、何を以て今までの全ては失敗だったなんて言えるのだろうか?
まだ結果も出ていないものに対して、失敗だったと言えちゃうのはなぜだろう。
ムシャクシャするから今夜もミッシェルガンエレファントを聴きながら、筋トレばかりしている。
酒に走らないところが偉い。
私の中にはある程度の目安というかシナリオがある。
ただその通りに行動しているだけなのに、時に頭使っていないみたいな言われ方をする。
それが悔しいから、私を否定する人なんかからは離れてしまいたいと思う。
そう、簡単に人間をぶった斬っているように見えて、そこに至るまでには悶々と悩んでいるのだ。
このすれ違いは何なのだろうかと。
そこで今までのことを振り返ってみる。
四十二年間、誰一人私のやることを理解してくれた人はいただろうか?
だけど私は九十九対一の原則を信じてここまでそいつらを跳ね除けてきた。
この世で結果を残せるのはたった一パーセントなんだってね。
九十九パーセントが思い付くようなことをやっているうちはダメだってね。
例えば、全く金の掛からない賞に応募し続けるとかそういうことだ。
今回たまたま『ロックンローラー』っていう作品を創り、これなら新人賞を取れるだろうと閃いたから応募した。
勿論賞金が欲しいのだが、それだけじゃない。
リスクを背負って自費出版してきた結果として、商業出版に移行したいからだ。
私がどんな思いで本を書いているかなんて、わかる人はほんの一握りだと思っている。
分かり易く言えば、命懸けなのさ。
安定的な生活を捨て、高いハードルに挑戦し、多少のリスクは背負う。
そうでもしないと、無名の凡人が運を掴むことはできないんだと言いたい。
それでも私かて生活があるわけで、金がなくなってバイトすることの何が悪い。
海外出版に挑戦しているのもそう、上手く行くと思っているからやっているわけで。
私なりに読者への想いっていうものがある。
世界中のまだ見ぬ読者が私を待っていると本気で思っているからやっていることだ。
そんなに私のことが気に入らないなら、離れて行けばいいのに。
勿論、誰にも迷惑かけていないし、自己責任の下で動いている。
『破壊から再生へ』を出す時だって金は掛かったけど、それによって迷惑掛かったという人がいるなら私の目の前に出て来い。