何が正しくて何が間違っているのかわからない世の中ではある。
しかし、全てのことを疑ってかかるのは如何なものかというのが私の考え。
勿論、金銭が発生するようなものでは疑ってかかった方がいいかも知れない。
人間関係においてはどうだろうか。
私はあまり人間を疑うことはない。
いやいや、怪しい人は直ぐにわかる。
例えば、上から目線の人や胡散臭い人などだ。
難しいのは、大抵の疑わしい人は最初は良いことばかり言うのだ。
蓮さんは素晴らしい、蓮さんは才能がある、蓮さん蓮さん蓮さんとね。
私としては気分が良くなって、ついつい乗せられてしまう。
それでコロっと騙されたりするのだが、大損することはほぼ無い。
何故なら、流石の私も途中で気づくからだ。
こりゃ、騙されたなと。
中にはどうしても信じていたい人がいる。
どう考えても私にとっては眩しく見え、いっそのこと着いて行きたいとさえ思ってしまうような人。
仮にその人が私に何の気もなくても私は好きでいたいと思える人。
本当にそういう人が稀にいる。
何を取っても完璧に見えてしまう。
すると、私の中では妄想が膨らむ。
万が一、その人が調子のよいことを言っていたとしても疑わない。
真摯に耳を傾け、話を聴くし真面目に受け答えする。
大抵そういう人は私をイラっとさせたり傷つけたりしない。
信じすぎかも知れないが、もし私から疑われていたら傷つくだろう。
だから、私は疑わない。
ところがこんなことがあった。
今まで私に対して好意的だった人が、急に批判的になった。
終いには、フォローを外されていた。
私としては、そもそも合わないと思っていた人なので痛くも痒くもないのだが、周りの人はこれを事件だと言った。
あんなに蓮さんのことを慕っていたのに、フォローを外すなんてとね。
まぁ、そういうこともあるだろう。
無論、私が結婚していた頃は応援してくれていたのに、離婚したら離れて行った人が大勢いる。
旦那の愚痴を書いている私には共感し、アドバイスし、励ましてくれた。
なのに『ロックンローラー』を発売してからコロッと態度が変わった人もいる。
確かに離婚成立できたことに自信がついて、自由を謳歌している姿に眉をひそめる人もいるのだろう。
ただ、私は、旦那の悪口で盛り上がる集団より、今のようにロック魂で繋がっている間柄の方が性に合っている。
そんな教訓もあって、あまり初めて出会った人にベラベラと自分の話をしない方がいいよな、なんて思う時もある。
しかし、心を開いた途端にオープンマインドになってしまう。
人間関係はこちらから心を開いた方が得だとも言う。
相手に心を開いて欲しかったら、まずはこちらから開かないとダメだとも言う。
全く以てその通りだと思う。
結論としては、私はこうして人々に心を開くことを止めないだろう。
日々の投稿を見てもわかる通り、私はひたすら自分のことを書いている。
決して自分以外の出来事をネタにしたりしない。
かといって、何もかもを投稿に書いているわけでもない。
勿論、書けないこともあって、そういうことは友達にメールしたり電話したりして聴いてもらっているわけだ。
自分の中に溜めておくことができない。
ただ、誰にも言わないでという約束は守る。
何でも書くのと口が軽いのでは違う。
その辺のニュアンスはわかってもらえると思っている。
そもそも、人を疑ってかかるより信じて接する方が気持ちが良いもの。
目つきが変わってくる。
あ、この人私のこと信用していないなっていうのは直ぐにわかる。
そういう人に理解は求めない。
あくまでも私のことを腹の底から信じてくれている人の期待を裏切らないというだけの話。
文字だけの遣り取りで、信頼関係が築けるのは素晴らしいことだと思う。
直接会えれば、一番いいのだが。