nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

不器用な生き方

リハビリセンターでの仕事に不慣れな私にとって、三連勤はしんどかった。

めちゃくちゃ暑かったし、めちゃくちゃバテた。

ところが多くのことを教えて頂き、学んだ。

車の運転や、車椅子の操縦、入浴介助などだ。

一皮剝けたような感じがした。

クタクタだったけど、気分爽快で帰宅し、一本だけ缶ビールを飲んだ。

日曜日は休みだが、予定がある。

なるべく身体を休めるようにしなくては。

送迎車は「タント」という車を運転した。

ほぼジムニーしか運転したことがない私からするとめちゃくちゃ運転しやすい車だった。

少しずつ勘を取り戻して行くのがわかり、とても楽しかった。

これまた私にもできるかも知れないという可能性を見出した。

車椅子の操縦、入浴介助についても徹底的に教えてもらい、なんとか来月からは一人立ちできそうな気配だ。

この調子で、一日一日を大切にして頑張ろう。

 

 

そう言えば、申し訳ないが、ちょっとズルいことを企んでいた。

それは人間関係の話である。

ところが頭の中とは裏腹に、ズルいことをする前に本人にぶっちゃけてしまった。

結局、自分の損得を考えず、自分の気持ちに嘘は付けなかった。

最近バリバリ働いているから自信がついたとかそういうことではない。

ただ単に嘘をつくのもシンドイってことだ。

面倒臭いのかな。

いや、黙っていられないのかも知れない。

結局本人に本音で言ってしまって、全ては完結した。

良くも悪くも私ってそういうヤツ。

私がこんなヤツだからこそ成り立つ人間関係もあるのだ。

ズルいことを頭では考えているのに、ズルいことができない。

その結果、全てのことに体当たりするしか術はないということだ。

逃げ道を作ろうと思っても、逃げ道を潰す生き方しかできない。

恐らくそれを不器用と呼ぶのかも知れない。

しかし、逃げ道を潰しながら生きるのが私のモットー。

だったらこれでいいのだ。

生きる術、生きる術と言いながら、不器用な生き方しかできない。

ただ、これだけは言える。

その分、一人一人に対して真剣にぶつかることができるということだ。

中途半端ではない。

勿論、二股もかけない。

好きな人はこの世に一人である。

勿論、好きな人は大勢いるけれども、特別な人はたった一人。

どんなに距離が離れていても、成立すると信じて止まない。

私ってそういうタイプの人間なのだ。

 

 

たぶんズルいことを考える背景には不安があるんだと思う。

だから保険をかけようとする。

しかし守りに入る生き方をしてきていないので、実際にやろうと思ってもできないのだ。

自分ではバカだななどと思いながらも、自分の気持ちには正直にならざるを得ない。

そんな自分が憎めない。

仮に人生が懸かっていたとしても、ズルい方法を選べない。

頭の中では、こう思っている。

やっぱ、勝負事は怖いよなって。

だけど、一か八かの勝負に出てしまう。

情けないかな、そういう性なのだ。

 

 

とか何とか言って、結局一人で酒を飲み、一人で寝る生活が続く。

この歳になっても、パートナーはできない。

私って云う女は、ひたすらパートナーを探し、追い求めていたはずである。

それなのに見つからないのは妥協しないから。

ズルさまでして見つけようとは思わない。

ただひたすら直感を信じ、自分の感性を追うのみだ。

どんなズルさを企んでいたかなんて、口が裂けてもここでは言えない。

しかし、ズルい道に進めなかったということだけは記しておきたい。

つまり、ブレなかったということにも繋がる。

結論としては、やっぱりこんな自分が好きであり、胸張っていられる理由の一つでもある。

不器用なまま突き進んだ方が、輝く未来が待っている。

世の不器用な人間に捧ぐことができただろうか。

自分に正直に生きていれば天が味方してくれる日が来るということだ。