なんだか麻痺しちゃって、涼しく感じてしまった。
それなのにバタクソ疲れた。
ヤバ、この疲れはヤバいぞ。
あまりにも疲れているので、チバユウスケのめちゃめちゃカッコいいロックを聴きながらチビチビと赤ワインを飲んでいる。
疲れすぎて思考回路がおかしくなっている。
今すぐ布団に倒れ込みたい。
湯舟に浸かったら、溺死しそうで怖いからそれはできない。
とにかく寝たい。
だが、この投稿を書かなければ朝になって死ぬほど後悔するとわかっているので、真剣に書く。
赤ワインはスーパーで買ったブレンドもの。
きっとワイン通に言わせたら不味いのだろうが、ここまで疲れると味もよくわからない。
煙草はキャメルとラッキーストライクを交互に吸っている。
あまりこだわりはないので、どっちでもいい。
たまたま立ち寄ったコンビニに置いてあるものを買う。
食べ物は少々気をつけていて、最近は豆腐そうめんを食べている。
めかぶや納豆をぶっかけていると職場のスタッフに話したら、中性脂肪が減るからいいんじゃない?と言っていた。
先日、こんな意見があった。
「蓮さん、パートナーを見つけて幸せになって欲しい」
マジか、遂に来たか、そう思った。
処女作『破壊から再生へ』を読んでくださった方はわかると思うが、私ってずーーーーっとパートナーを求めていたのよ。
今になって再読したいくらい、原点に還りたい。
いい歳こいて、遊び人にはなりたくない。
そろそろパートナーを見つけてパワーアップしても良くない?
勿論せっかく見つけた天職は続ける。
それは書くこともそう、介護職もそうだ。
ただ私は本当に厳しい世界を知らない。
書くことにせよ、介護職にせよだ。
私としては、そんなの知って何になる?と思ってしまう。
マイペースにあと二十年くらい続けて行ければいい。
だけどこのままじゃ何も変わらないような気もする。
パートナーを見つけて一緒になったとして、楽になるのではない。
私は確実にパワーアップする。
そういう人じゃない限り、当然のことだがパートナーにしない。
お互いにバタクソ疲れるくらい働く。
だけど、その原動力はどこから来るのかといえば、相手に対する愛。
ぶっちゃけ、独立自尊できるなら結婚なんてしなくてもいいと思っていた。
しかし、所謂一つのケジメであるように思えた。
何故なら、介護職に就いたことにある。
仮に八十代、九十代まで生きたとして、伴侶がいる人とそうじゃない人とでは全然違うんだよね。
解り易く言うと、心強いということだ。
時にはウザったいことがあるかも知れない。
だけど、自ら望んで孤独を選ぶ必要はないのでは?
私のお望み通り、完全燃焼してその辺でくたばれるなら言うことはない。
ところが人間は長生きするかも知れない。
言葉もロクに話せず、一人で歩けなくなっても生きているかも知れない。
そんな時、デイサービスへ行かせてくれる旦那様がいたら幸せじゃないか?
いやいや、逆も然り。
繰り返すが、自ら望んで孤独を選ぶ必要はないのでは?
むしろ、選んではならないと思った。
つまり人生観が変わったのだ。
若くて元気なうちはピンと来ないが、先のことを考えれば尚のこと。
そこで思い出したのだ。
「孤高の花になってはダメだ。輝く草原に咲く花になれ」
なんてキザなことを言った元カレのことを。
自ら望んで孤独を選ぶ必要はなく、パートナーを見つければいいじゃんということだ。
輝く草原の意味がずっとわからなかったのだが、何となくわかってきた。
私は今こうして一人でいても幸せなのだが、もっともっと幸せな世界が待ち受けているのではないか。
一度結婚に失敗した分際で申し訳ないが、可能性はあるのではないか。
だとしたら、多くのことを諦めて生きてきたが、パートナーに関しては望んでもいいのではないだろうか。
これは介護職に出会ったお陰でもある。