nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

一人でいても心強い

貴重な土日休み。

予定がなくて退屈は退屈だったのだが、本の発送手配で郵便局まで歩いてゾッとした。

この暑さは半端ではない。

仕事が休みで本当に良かったと思ってしまった。

せっかくだから昼寝でもしようかと思ったが、横になっても全く眠れず。

『saturday night killer kiss 』を聴きまくり、ビールを飲んでみたが睡魔は襲ってこなかった。

だからパソコンに向かうことにした。

結局、私にとって文章を書くということは空白を埋めるための手段でもある。

誰かが飲みに誘ってくれたら準備は万端なのだが、こんな夜に限って誰からも誘われることはない。

これを書き終えたら、ゆっくり風呂にでも入るとするか。

それにしても貴重な土日休みに予定を入れないなんて大人になったなぁ。

ひと昔前なら、黙って家にいられなかった。

寂しいからって街を徘徊していたような気がする。

今は何故か寂しさは湧いてこず、根拠もないが心強さがある。

だから無駄に出歩くことがなくなった。

介護職の仕事で疲れているせいもあるが、心細さを感じなくなったのが一番デカい。

何故心細さを感じなくなったのだろうか?

 

 

たぶんそれは波長が合う仲間に恵まれているお陰だと思っている。

傷の舐め合いではない、目には見えないが私を支えてくれているような気がしてならない。

信じるも信じないも私次第。

そもそも、波長とは目に見えるものではないのだから。

たぶん介護職を始めて社会の一員になった私は、波長が変わった。

立っているステージが変わった。

そして、人生観が変わった。

ある時期、私は独立自尊にこだわっていた。

ところが目指しているうちに、何か間違っていることに気づいてしまった。

だから私は独立自尊を目指す集団から身を引いた。

独立自尊が間違っているのではなく、私には違う方向性の方が合っていると気づいたのだ。

それに気づいた私はまず、一人になることにした。

多くの付き合いを絶ち、たった一人になってみた時天が私に差し出したものが介護職だということだ。

まだ働き始めて日は浅いが、心から安堵している。

あんなに嫌だった人に雇われるということが、感謝に変わった。

私ごときを雇ってくれるなんて、本当にありがたいと思った。

何故私が独立自尊を目指していたかというと、企業の中では「出る杭は打たれる」の連続だったからだ。

自我が強かった私は、仕事を覚えた途端水を得た魚のようにみるみる伸びた。

しかし現実は厳しかった。

打たれることに反発した私は、自由な表現ができる世界を求めて職を変えた。

それでも結果は同じだった。

もういい、私の好きにさせろ、そう思って半分泣きながらなにくそ根性で日本中を転々とした。

 

 

私の長編小説『ロックンローラー』は、一つの節目となった。

ずっと頭の中にあった構想を形にできたことは大きな自信にも繋がった。

自分の中で無理だと思うことをやめるキッカケにもなった。

私には小説は書けないと思っていたからだ。

でも書けた。

背中を押してくれたのはたった一冊。

太宰治の『人間失格』だ。

これを改めて読んだ時、ここまで書いていいんだと思った。

それと同時に、この部分はもっと書いた方がいいというようなことも学んだ。

そうして書き上げたのが小説『ロックンローラー』である。

何の知識もない私が、ここまで書けたのは文章を書くことに慣れているからではない。

覚悟だ。

全てを失っても構わないという、半ば捨て身精神だ。

多くの人が離れていくと思っていたが、その反面、一部の人からは深い理解が得られるだろうと思った。

結果としては、多くの人に受け入れられ、離れて行った人はごく一部だった。

そんなこともあって、書いた私本人が生きる希望を掴んだのだ。

勿論、この本を読んでくれた方も希望を感じてくれたようだ。

心細さを感じなくなったのはそういうことだ。

だけど、そろそろ私だって人並みの幸せを望んでもいいのでは?

せめて正月は一人でいたくないかな。