職場の最寄り駅前にある「しまむら」で靴下を六枚買った。
仕事用、というかスニーカー用の靴下。
プーマが欲しかったのだが高かったので、ブランドにこだわらないことにした。
浮いた五百円玉を握りしめ、私というヤツは「日高屋」に入った。
喉がカラカラだったからだ。
生ビールと焼鳥でお会計は四百七十円だった。
勝ち誇った気分だった。
よっぽど疲れている時は、「日高屋」に行くべきだと心底思った。
週の初っ端は、一人立ち一日目だった。
幾つかミスはしたものの、無事に送迎車に乗って利用者さんをお連れし、入浴介助を済ませ、なんとか無事に送り届けることができた。
やれやれ、一安心だ。
時間はとっくに寝る時間を過ぎている。
帰宅後、ちょっとした映像や音楽に聴き入り過ぎたかも知れない。
赤ワインをチビチビ飲みながら、慌てたようにこれを書いている。
今までは孤独というものをマイナスのイメージで捉えていた。
どうして私ってこんなに孤独なんだろう。
何故、こんなに息苦しいのだろうかってね。
だが、考えてみれば、今と昔と生活に変わりはない。
それなのに今私がちっとも孤独を感じないのは、肯定的に捉えられているからではないだろうか。
私としては、SNSには良い面も悪い面もあると思う。
良い面とは、この私がいい例だ。
フォロワーさん達と戯れて、孤独を掻き消すことにある意味成功したんだな。
悪い面とは、匿名だから誹謗中傷ができてしまうという点だろう。
しかし、もはや私にどうのこうの言って来る人はいない。
陰ではどう思っているか知らないが、文句なんて言わせない。
私の場合は、良いことも悪いことも全部書く。
その日頭の中にあることを全て曝け出す。
しかしながら、良いことしか書かない人も多い。
SNSなんてそんなもの。
それが悪いとは決して言わない。
ところが、私としては、劣等感を抱くこともある。
最近、全くリアクションをくれない人がいる。
私は必死に新しい仕事をしているだけなのだが、その人からすると「リア充」に見えるのかも知れない。
自慢している気は更々ないのだが、蓮さんの投稿は読みたくないという風に変わったのかも知れない。
それはそれで仕方のないこと。
どちらかと言うと、私は真剣にSNSを楽しんでいるタイプ。
勿論、深く悩んだ時期もある。
きっかけはSNSでも素晴らしい関係に発展する場合もある。
しかも、文字だけの遣り取りっていうのは、その人の人間性が出るものだ。
誤魔化しきれないものがある。
とある人は、「青春ポジティブ系」という呼び方で、多くの人を指摘している。
全ては見せかけの「リア充」だとね。
そうか、なるほど。
私は弱音も愚痴も吐くけどね。
「リア充」を見せかけている人に限って、いつ死んでもいいなんて言うから本当に不思議だ。
俺は楽しいですみたいな投稿を見ていると、懐疑心を抱く。
だから私は逆に、休日なんて暇であると書いてしまうわけだ。
当然、私だってランチへ行ったり、飲みに行ったりすることはある。
だからと言って、一人アパートで暇な時だってあるのだ。
元気溢れる投稿は、時に人を萎えさせる時があるというのは肝に銘じておこうと思う。
かといって暗い人に人は集まらない。
根は明るくポジティブなのだが、見せかけのリア充ではなく、等身大の自分を見てもらう勇気が必要なのではないだろうか。
作りものは見抜かれるし、お門違いなアピールは人を不快にさせる。
ぶっちゃけ奥が深いと思うのは私だけだろうか?
本物の仲間を見つけられたら最高なんだけどね。
この世界はフェイクではなくリアルであると信じたいというのが本音。
仕事で疲れていて支離滅裂になったが、今日も本音で書いた。
ややこしいが、これって伝わっただろうか?