nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

後悔はないのかい?

冷蔵庫に二日間寝かせたビールのために直帰したと言っても過言ではない。

キンキンに冷えたそれは、五臓六腑に染み渡る。

八時間労働に感謝したくなるくらいの美味さ。

身体がリセットされて行くのがわかる。

煙草を吸って落ち着いたところで、パソコンに向かってこれを書いている。

養命酒が効いたのか、仕事に慣れてきたのか、随分と身体が楽になってきた。

疲労感は半端ないが、勤め始めた頃の死ぬほどの疲れではない。

バテない身体になってきたかも知れない。

いいぞ、いいぞ、この調子。

 

 

ところで実は考えていることがある。

あまりにも介護職が順調で遣り甲斐を見出してしまったら、創作意欲がなくなるのでは?ということだ。

確かに、メシが食えるのならば書かなくてもいいやとなるかも知れない。

しかし、私にはどうしても書きたいことがある。

私の運命を変えてくれた愛すべきもの達のことだ。

それを書かずには、死ぬに死にきれないと思っている。

長編小説『ロックンローラー』の続きが読みたいという方は大勢いた。

私としては、書くか書かないか迷うところだが、主人公の人生は続いているわけで。

続編ではないが、成熟した人間の一つの物語は書いた方がいいと思う。

そういう意味では創作意欲は全く失っていないということが言える。

原点回帰だ。

何のために介護職をやっているかという話。

書くためでしょう。

そのための生活を維持するためでしょう。

根本的なことを忘れてはならない。

何のために書くって、自分のためでしかない。

勿論、楽しみにしてくれている皆さんのためでもある。

しかし、それだけではない。

人生というものは、人のためではないはずだ。

どこまで行っても自己満足。

一見すると世のため人のためにやっていることでも、結局は自分の願望を満たすためなのである。

人間は一人では生きて行けないが、結局は一人で死んで行くもの。

死ぬ時に、悔いはないと思えるかどうかだとよく耳にする。

 

 

ただ、私が最近介護職を始めてお年寄りと接していると死ぬ間際に人生を振り返って悔いがないなんてことはあり得ないのではないか?と思う。

人間はどんな形で死を迎えるのかわからない。

認知が進み、老衰する人が死ぬ瞬間に過去を振り返るとは考えにくい。

だったら、やはり元気なうちに後悔が残らないような生き方をするべきなんじゃないのか?

胸に手を当てて、自分に後悔が無いか訊いてみる。

私としては、この歳になるまで人生のパートナーを見つけられなかったこと。

そう考えたら、生きているうちにLOVE&PEACEな本を一冊、やはり書くべきだ。

こういうのは思い込みも肝心だ。

たとえ一人も待っていなくても、誰かが待っていてくれていると思い込む。

そして自分を奮起させて、書かざるを得ない状況に追い込むのさ。

もしかしたら今ではないのかも。

もっともっと先が見えた時こそ書くタイミングなのかも。

 

 

本当は一年に一冊出したいのだ。

だから来年中に一冊出せばいいわけだ。

LOVE&PEACEな本の結末をどうするかは考えどころだが、書き始めるのはいいかも知れない。

LOVE&PEACEな本を書いたあかつきには、橋岡蓮らしくないとでも言われるのだろうか?

私が書く本は、基本的にエンターテイメント。

あ~、面白かった!

そう思って欲しい。

中には付箋を貼って楽しんでくださる方もいる。

人生のバイブルと言ってくださる方も。

私としては今までの作品も後味のいいハッピーエンドで終わらせたつもりだ。

つまり、究極の愛の作品が書きたいという話。

創作意欲は失われていないが、結末を見据えて書くタイプ。

来年には発表すると宣言しちゃっていいのかな?

時期的には秋がいいと思っている。

どんな形であれお届けしたいので、待ってろよ!!!

出さなきゃ後悔するから。