nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

人生に無駄無し!

ヤバ!

またしても時間がない。

早く寝なけりゃ、また朝起きれない。

日付けが変わる前には何としてでも寝たい。

書き終わるかしら?

マジでヤバい。

実は都内で打ち合わせだったのだ。

夕方に帰ってきたのに気づいたら恐ろしい時間帯に突入している。

こういう時はガチで集中力が求められる。

話題としては盛沢山。

書き留めておきたいことが山ほどあるのだが、どれから書いていいのやら。

 

 

例えばこんな話があった。

打ち合わせ中、私はこう言った。

 

「私が介護を覚えたことで、お相手の方の両親の介護もできるようになる。自分が役に立つと思うと嬉しいです」

 

お相手の方は、ギョッとしてビックリしていた。

 

「いやいや、蓮さんみたいにそう考えられる人ばかりじゃないですよ!世の中の大半は結婚相手の介護をさせられると思ったら引いてしまいますよ」

 

そうか、そういうものなんだと思った。

確かにそうかも知れない。

私の場合は、実の両親は身体が不自由になったら施設に入ると決めていて、私の世話にはなりたくないと言っている。

だからその分結婚相手の親御さんのお世話ができればいいなと考えている。

しかし、多くの人は避けたい道なのかも知れない。

もっとプラス思考で考えれば、自分が身に付けたことが誰かの役に立つのであれば、それはそれで幸せなことなのになと思う。

多くの人がそうではないとしたら、私みたいな女は年齢的には子供はもう産めないが、需要はあるのではないかと思ってしまう。

自惚れ過ぎかもしれないけどね。

いやいや、冷静に考えて、好きな人を大事にするということはその人の大切な人を大事にすることに直結すると思うのは私だけだろうか?

世の中そう上手くはできていないと聞いた時、ほんの少し寂しいような情けないような想いがした。

自分さえ愛されればいいなんて甘い。

相手のこと、相手の大切な人を大切にするからこそ自分を認めてもらえるものだと私は思う。

例えば、全く違う趣味を持っていたとする。

それでも、一緒に楽しめるように歩み寄る必要がある。

 

 

また、相手の人はどういうタイプの人なのかを探ることも大切だと思う。

もっと言うならば、相手は私に何を求めているのかということだ。

話を聴いて欲しいタイプならば、とことん傾聴する。

そして、たまに同意する。

寡黙で無口なタイプの人ならば、私の武勇伝でも語ろうか。

とにかく楽しませることに徹する。

母親的存在を求めているならば、褒めて、アドバイスして、時に叱る。

尚且つ最大限の愛情で以て包み込んであげようとするだろう。

空気のような存在を求めているならば、私は黙って隣で読書をすると思う。

それはホステスが、ただ隣に座って、黙って酒を一緒に飲むことと似ている。

私はホステス経験がある程度あるので、頭の中でついつい自分の役割について考えてしまう。

それについても、私の仲間は、そんなホステスは今どきいないよ!と言う。

綺麗、可愛いだけで売り上げを上げることしか脳が無いみたいなホステスはザラでもある。

そういう女しか揃えていない店は、自ずと潰れる。

そんな中で、頭の機転が利く女だけが生き残り、ママになったりするのだ。

かといって、頭の悪いママもザラにいる。

私としては、天から介護職を与えられたがゆえ、全うしようと思っているが、身体がしんどくなったらカウンターだけの小さな店を開きたいなどと密かに思っている。

人生経験豊富な蓮ママなら、店一軒なんとか切り盛りできるような気がしてならない。

文章は死ぬまで書き続けるとは、もう既に決めたことだ。

 

 

そう考えると、私の人生を振り返って無駄だった経験は一つもないと言える。

ブルーカラー労働者だった日々は介護職で役立っているわけだし、接客業で身に付けたコミュニケーション能力さえ多方面で発揮されることだろう。

無論、数々の経験は私の作品に通じていることに他ならない。

一気書きしてやったぞ!

変なところあったらゴメンね。