nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

全ては状況把握

ハリーやミッシェルガンエレファント、バースデーが入っているミックスリストを聴きながらこれを書いている。

遅ればせながら、チバユウスケソロアルバム「シングス」を買った。

月曜日届くとのことなので、仕事から帰ってくるのが楽しみだ。

何やら写真集付きとのこと。

チバさんファンの私としてはとても嬉しい特典だ。

先日買ったバランスボードも届いた。

早速試してみたが、案外使えそうなので活用して行きたいと思っている。

煙草を切らしたのでコンビニへ。

愛用のラッキーストライクが無かったのでキャメルを買った。

もしかしたら販売停止になったかも知れない。

だとしたらキャメルを吸うしかない。

私はコロコロ煙草を変えるタイプではないのだが、売っていないのだから仕方ない。

若き頃はマルボロメンソールだったのだが、高いからね。

止めるという選択肢はないようだ。

 

 

介護を始めて、初給料が貰える。

金のためのようで金のためだけでもない。

そんな気持ちで始めた介護職だが、やはり初給料は嬉しい。

一つの節目のような気がする。

幾ら給料袋に入っているかはわからないが、あまり期待はしていない。

それでも生き延びた実感は味わえることだろう。

著書の販売のみならず、多くの方から応援して頂き心から感謝している。

そのお陰で今日まで来れたと言っても過言ではない。

人間とは欲深い生き物。

身体が慣れてきたら、もっともっと稼ぎたいと思うようになるだろう。

そう思った時は稼ぎ時なのだろう。

若くもないがまだ若い。

まだまだやれるはずなのだが、私は二足の草鞋を履かねばならぬ。

この職場は、そもそも稼ぎたい人には向いていない。

時給もさほど高くないし、シフトもあまり入れてもらえない。

天は私に書けと言っている。

それだけはわかっている。

 

 

プロやアマチュアは関係なく、もの創りをする者は創り続けてなんぼ。

創るのを止めたら人生が終わる。

私はガッツリ創作する代わり、ブレイクタイムも長い。

頭の中で練った構想をある日突然爆発したように吐き出し始める。

今この時期は、そろそろ焦り始めている時期。

何故なら、自分の中である程度煮詰まってきているからだ。

夏の終わりと共に、新たな一歩を踏み出そうとしている。

そんな感じだ。

私って自由気ままに生きているのだが、あれこれ頭の中で考えて動いている。

自分にとってベストな時期も知っている代わり、動いてはならない時も知っている。

それらをベースにして、計算しながら身の振り方を考える。

それは昔も今も一緒。

今は、ぶっちゃけあまりいい時期とは言えないが、過ごし方を身に付けたから波風立てずに穏やかに過ごしている。

来月からは飛ばすけどね。

 

 

何事に於いても大事なことは「状況把握」だと思う。

自分のことを俯瞰的に見る必要がある。

それは人目を意識するとかナルシストになるとか、そういうことじゃない。

自分の行いに感動できればベスト。

私なんか、自分の人生を本にするくらいだから自分の人生に感動しているわけだ。

考え方に大きく頷き、涙する。

自分が書いたことにエールをもらう。

文章として残しておいたことは、後から振り返ってあの時から自分はブレていないと把握することができる。

成長も劣化も確認できる。

自分のポジションなどは確実に把握しておかなければならない。

私の場合は幸せの真っ只中にいるのだが、ラスト三年間でその幸せはピークを迎える。

その後は社会貢献が待っている。

つまり、今は自分が楽しくてやっていることが全て人のためになる日がやってくるということだ。

そうやって、自分の存在を俯瞰的に見ていると世の中が狭く見えるようになる。

もっと言うならば、何もかもがちっぽけに感じ、人々はボーっと生きているように映ってしまう。

そんな時、この世に怖いものは好きな人にフラれること以外何もないと知ることができる。

今日のところはその辺かな。