橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

幸い、知らなかったが…

眠たすぎて書いては消してを繰り返している。

眠気を飛ばすために水で顔を洗ってきた。

少しは目が覚めたはずだ。

実は私が働くリハビリセンターで、レポートを提出するようにとのことだった。

テーマは「虐待」である。

何故なら、家に居場所のないお年寄りに対する虐待というものが後を絶たないからだそうだ。

私の場合は幸い祖父母は絶対的な存在だったので、祖父母は幾つになっても尊敬されていた。

理想の姿は祖父母だった。

時代が違えど、どんな人と結婚したいかと訊かれれば、祖父と答えた。

また、どんな女性になりたいかと訊かれれば、祖母と答えていた。

ましてや、私の祖父母は若くして亡くなった。

だから介護の必要はなかったのだが、祖母は五十代で病で倒れてしまったため、看病は必要だった。

祖父は、まだまだ働き盛りの中、祖母の看病のため会社を辞めた。

約何年間看病していたかは定かではないが、祖母がこの世を去るまで看病し続けた。

そんな姿を見て育った私はいつもこう思っていた。

 

「お爺ちゃんみたいな人がいればいいのに」

 

とね。

そして祖母は若くして亡くなったが、祖父と結婚できて幸せだっただろうと思っていた。

 

 

しかし、今の世の中では高齢者の虐待が当たり前になっているそうだ。

私はそれを見ないで育った。

かといって虐待というものは何なのか、おおよそわかっているつもりだ。

だからこそレポートが書けたのである。

何故なら母さんは私の幼少時代、虐待に近いことを散々していた。

無視、無関心、お金を渡さない、食べ物を与えない、罵声、そして言ってはならないことを延々と私に言い聞かせた。

 

「あんたを産んで私は不幸になった」

 

これらは全て大人になってから「虐待」であるとわかったことである。

子供の頃は私が悪いのだと、ずっとずっとずっと思っていた。

私が可愛くないからいけないんだ、優秀じゃないからいけないんだとね。

まぁ、私の子供の頃のことはどうだっていい。

お年寄が虐待を受けている事実は私にとって衝撃的だった。

その神経がサッパリわからなかったからだ。

 

 

ところがとある事実に気づいてしまった。

私の幼少時代の虐待体験は、介護に活かすことができるのではないかと思ったのだ。

ちょっとした変化に気づいてあげる、優しく接する、利用者さんに疎外感を抱かせない。

実際、ご自宅での様子は会話の中でしかわからない。

しかし、ちょっとした変化には気づいてあげられるかも知れない。

案の定、アザだらけの利用者さんがいた。

転んだのかな?

ぶつけたのかな?

そんな風に思って利用者さんに訊いてみたが、答えてはくれなかった。

 

 

結局私はレポートを自分の幼少時代に絡めてまとめた。

似たような経験をしてきたからこそ、私は変化に気づける人になりたいと。

身体的なことだけではない。

表情、元気のなさ、そして声のトーンや瞳の色まで。

自分の経験を介護職で活かしたい、そんな風に書いて提出した。

すると、普段からガミガミとうるさい先輩が何故か優しかった。

そんな姿を見て、この人は本当は優しい人なんだなと再認識した。

先輩は利用者さんの虐待を目の当たりにしてきたのかも知れない。

そんな中、私みたいなヤツが入ってきたわけだ。

私を雇ったのは先輩である。

何かピンと来るものがあったはずだ。

ブルーカラー労働者の経験のみならず、虐待経験も活かせるならば、まさにここは私の集大成が出せる場所。

しかも、罵声を浴びるのも慣れているしね。