nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

無理矢理始める

何か始める時、きっかけを待っていてはダメだと思う。

向こうからやってくるのではなく、自分から組み立てて行くことが大切なのではないか。

私もそうだったが、多くの人が始めたいことを沢山抱えているように思う。

だけど、それらを始めない理由は、タイミングを待っているのではないだろうか?

私は、そのことに最近気づいたばかりだ。

自ら、無理矢理にでも始めなければならないとね。

そこに必要なのは「確固たる意志」、「強引すぎる目標」、「使命感」この三点だと私は考えている。

 

 

「確固たる意志」に関しては、しつこいけれども同じことを何度も言う。

私で言うならば「書きたい」という意志だ。

しかも、これから書こうとしている新作についてはどうしても残しておきたいことがテーマ。

需要もあると思う。

何故、そんなに書くことにこだわるのか。

以前私はホステスだった。

ところがある日、休暇を取って静岡県弁天島へ遊びに行ったのだ。

そこで悲劇は起こった。

なんと崖から転げ落ち、全治二ヶ月の大怪我をした。

顔面も血だらけだったし、全身を強く打った。

一ヶ月間は療養していた。

しかし、あれよあれよと云う間に貯金残高は減る一方。

そこで家賃を払うことさえ辛くなった時、私が選んだ仕事は警備会社のキャンペンガールだった。

最初はレースに勝利した競艇選手の脇に立って、笑顔を振りまいているだけで良かった。

ところが、ホステスを辞めた私に天が与えた仕事は競艇場の警備の仕事だった。

毎日競艇のレースが開催されるわけではないので、私は所謂「棒振り」の仕事をして一ヶ月の生活費を賄った。

雨の日も、風の日も、猛暑だろうが氷点下だろうが。

その先に出会ったものが「書く」ことなのだ。

それから十年間の月日が流れる。

 

 

「強引すぎる目標」というものは、新作の商業出版だ。

やはりいつまでもインディーズでいるわけにはいかない。

一人でも多くの方に読んでもらいたいしね。

強引すぎる目標はあった方がいいと思う。

 

 

そして「使命感」。

これは分かり易く天から命じられたもので、私自身は「書かねばならぬ」と思っている。

日々の投稿もそう、作品もそう、書かねばならぬなのだ。

書かねばどうなるか。

敗北感に襲われる。

これが嫌で毎日書いているようなもの。

ただ作品創りとなると、それ以上に覚悟が必要なわけで。

 

 

結局この三つに支配されて私は生きている。

埼玉県の小さな町で、誰にも邪魔されることなく生活している。

介護の仕事して、メシ食って、酒飲みながら文章書いているだけの女。

それなのに自分を誇れるのはなぜだろう。

自分の道が明確になったからに他ならない。

中にはやりたくない仕事を「させられている」人もいるだろう。

退屈しのぎに仕事をしている人もいるかも知れない。

でも私は働くということはかけがえのないものだと思っている。

話は戻るが、無理矢理始めるにはこの三つが欠かせないということだ。

物事を所謂一つの成功に導く人に共通していることは、無理矢理始められるかどうかだ。

運任せにしない、仕事も恋愛も無理矢理始める。

何が言いたいかって、そのためには並々ならぬ強い自分が必要だっていうこと。

倍以上のエネルギーを使う。

倍以上の思考力も必要だ。

何より決意。

もっと言うならば、自分にゲキを飛ばして自分を追い込む。

そうでもしないと無理矢理始めることなんてできない。

勝手に〆切りを作り、自分で自分にプレッシャーをかける。

そうやって私は作品を創ってきた。

暇になったからとか、時間が空いたからとか、そういうことではない。

自分を暗示にかけるのさ。

少なくとも後ろ盾がない芸術家志望の人、もしくはスポーツ選手はそうでもしないと陽の目を浴びることはできないだろう。

確信と共に、この投稿を書かせてもらった。

そう、確信だ。