橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

真実を見極める力

モタモタしていたら十月になってしまう。

今月は散々な一ヶ月だったなぁ。

毎年秋は好調なはずなのに、踏んだり蹴ったりだった。

このままのグダグダ感を来月に持ち越すわけにはいかない。

そのためには何をすればいいのか考えた。

「潔い決断」と「真実を見極める力」だと思う。

簡単に言えば、自分に気持ちがあるかどうかを見極め、潔よく別れるのかこれからも付き合うのか決めるということ。

簡単なようで難しいから、人付き合いは疲れるのだ。

しかし、この二つを持っていれば確実に運は上昇すると思う。

逆に言えば、この二つが無ければ閉ざされたまま前に進めないだろう。

何故なら、真実かどうかもわからないことに悩み明け暮れるなんて時間の無駄だからだ。

まずは、そこを確かめなければならない。

しかし、探偵を雇うわけにもいかない。

どうすれば真実が見えてくるのかと思うだろう?

大事なことは「直観」だ。

終わりが想像できる場合、その想像こそが真実。

もしくは、全くそこを離れる気がないのなら、それこそそれが真実。

自分の考えが正しいかどうか不安に陥ることがあるかも知れない。

ただし、真実というものは自分の中にしかないもの。

そう考えれば、胸に手を当てて考えた時、答えは出てくるのではないだろうか。

 

 

なぜ、いきなりこんなことを言うかと云うと、私は決断に迫られているからだ。

人間関係もそう、仕事もそう。

先にも述べたが、終わりしか想像できないものがあるからだ。

どう考えても明るい未来は待っていない。

そういうものは潔い決断で以て、想像通りにしてしまった方がいいのではないか?

逆に離れることが想像も付かない場合は、継続して育てていくしかない。

例えば、今の職場のことを考えればどう考えても継続した方がいいと思えるわけで。

だから悩むこともない。

大抵悩むパターンというのは、終わりが見えている。

真実とは一寸の曇りもないほどに澄み渡り輝いているものだ。

比較してみると実に解り易い。

私が去年の冬まで働いていたパン屋と今の介護職とでは、環境に雲泥の差がある。

時給も違うし、働く仲間の質も違う。

パン屋で働いていた頃はあれこれ悩んでいた。

ところが介護職では叱られることは多々あるけれども、一切愚痴は出ない。

実力の違いはあれど、皆それぞれに良いところがある。

だから皆のことを尊敬できる。

しかもパン屋で働いていた自分より、介護職をしている自分の方が圧倒的に好きだ。

少々自宅から職場まで距離はあるけれども、全く苦にならない。

パン屋は近所だったが、たった四時間の労働でクタクタだった。

つまり、介護職に出会えて良かった。

この職場なら正社員になってもいいやと思える。

結婚は、こうやってすべき。

まさに一寸の曇りもない真実。

 

 

違うと思ったら、潔く決断することだと思う。

直感に従ってどうしても離れたくないと思えば一緒にいればいいが、そうでない場合は決断するしかない。

気まずい関係になるような相手はそれまでの相手でしかないかも知れない。

もしくは、付き合っていて苦しくなるような間柄に於いても、それまでかも知れない。

結婚に至る人っていうのは、私個人的には「ピッタリフィット」だと思っている。

幾ら喧嘩はしてもピッタリフィットしていれば、そう簡単に離れることはないだろう。

そういう人が現れればいいのに。

「潔い決断」と「真実を見極める力」を養うことで自然淘汰されて行き、結果的に残るたった一人に出会えるような気がしてならない。

私の場合は、出会えても出会えなくても求め続けることを止めない。

死ぬその日まで、諦めないだろう。

それまでは「潔い決断」と「真実を見極める力」を大切にし続ける。

最終的には、生きていて良かったと思える人生にしたい。