日々の投稿は文章の「大量生産」だと思っている。
毎日テーマを変えて千五百文字を叩き出すのは楽な作業ではない。
ただ、毎日それを繰り返していることで、確実に上達しているような気がする。
一年前の投稿などをたまに読むと、恥ずかしくなる。
中には、素晴らしい文章は書けるけど「大量生産」はできないという人もいる。
そういった意味では、「大量生産」は一つの技だ。
勿論、駄文にならないようには心掛けている。
しかし、毎日百点は取れない。
六十点でもいいから、毎日続けることが大切。
自分の中のハードルは上げていないつもり。
ところが、読む側は昨日より今日、今日より明日を期待しているような気がする。
だから私も常に精度の高い文章を「大量生産」することを目標に掲げている。
実にシンプル。
全てを捨て、書くことだけを望め。
その暁には、高いステージでパフォーマンスするようになるだろう。
ここに書かれた文章は、私が羽ばたくまでのサクセスストーリーである。
どのように道を作り、どのように気持ちを高めて行ったか、全てはここに書いてある。
いつか編集して、一冊の本に纏めてもいいかも知れない。
サクセスストーリー、もしくは文章によるライブ中継だ。
知る人ぞ知る女。
今に見てろよ、羽ばたいて見せるから。
そうやって自分にゲキを飛ばして日々私はパソコンに向かう。
今の気分は天と一致団結した感覚。
いやいや、あんなに落ちていたのにケロっと立ち直ったよ。
決断までの道のりが辛いのであって、決断してしまえば荷物を下ろせるということに気づいてしまった。
だから人生に於いて決断を繰り返すことは大切なのだ。
そして、その度に身軽になることを実感する。
道は一本しかない。
どの道を選択するかは自分次第。
見極める方法は、天と話し合うのみだ。
天は全てを知っているのではないと思っている。
ただ、私がどう動き、どう考え、どうしようとしているのかを黙って見ている存在なのだろう。
私が助けを求めている時に手を差し伸べてくれるのは、体当たりを続けてボロボロになった事実を知っているから。
つまり、体当たりを続けたからこそ救いがあったということだ。
体当たりとは何か。
真っ正面からぶつかることに他ならない。
出会う人を信頼し、傷つくことも体当たり。
目の前の仕事を一生懸命やるのも体当たり。
あっちにぶつかりこっちにぶつかった先にしか道は見えてこない。
四十年以上そんなことを繰り返して来たのだから、そろそろ見えても良くない?
前にも書いたことがあるが、自分を取り巻く環境は自然淘汰されていくそうだ。
消える人は消え、残る人は残る。
残った人へ頼みがあるかどうか考えてみた。
願いは見守って欲しいということだ。
とある人は「成り上がれ!」と私に言う。
コネもない、金もない、知識もない、それでも「大量生産」はできる。
闇の中から這い上がった一人として、夢と希望を持ち続けたい。
そんな私の姿から、活路を見出してくれたら本望だ。
何のために仕事をするのか。
金のためだけに働いていた日々は死ぬほど虚しかった。
金がないから働くのに、働くから時間がないことの繰り返し。
今は、自分を演出するために介護職を続けている。
そして言い聞かせるのだ。
私は所謂パフォーマーであり、演者であると。
このまま突き進めれば成り上がれるかも知れない。
いや、成り上がれ!
私の悪いところは落ちる時はどこまでも落ちてしまうところ。
しかし、光を見つければ一直線に向かっていく。
寂しがり屋の孤独好きというのはなかなか手に負えないタイプである。
自分の弱さを潰すためには、良いところをどこまでも伸ばす必要がある。
強いから成り上がれるのではない。
弱さを補おうとするパワーが突き抜けた時、成り上がれるのだ。
だから、青筋立てて歯を食いしばる。