来月こそはいい月にしたいと、毎月願っている。
これについては多くの人が同じように考えて一ヶ月を乗り越えているような気がしている。
ようやく九月が終わるが、私にとっては長い一ヶ月だった。
様々なことが詰め込まれた月だった。
ピンと張っていた糸がプチンと切れてしまったような感覚。
波はジワジワと押し寄せ、気づいたら嵐の中にいた。
良くも悪くも一人で生活しているので、人に迷惑を掛けることはない。
あるとすれば、親しいはずの人の愛が見えなくなって疑ってしまうことがあったくらいだ。
どうして私は疑ってしまったのだろうか?
反省するのはいいが、私の場合激しい自己嫌悪に陥る。
ただでさえ、私自身、誤解されたら張り裂けそうになる。
それなのに、私のことを愛してくれている人のことを誤解してしまった事実は相手のみならず私をも傷つける。
こんなことを繰り返していたら、信用を失うのではないかと怖くなる。
私こそ信じてもらえない存在になってしまうかも知れない。
かといってご機嫌取りやおべんちゃらは、かえって毒。
こんな堂々巡りを繰り返しているうちに、負のスパイラルから抜けられなくなってしまうのだ。
どんなにどんなに愛されていても、満たされることって無いのかも知れない。
深い愛情で以て接してくれる人がいるとすれば、その愛を失うことが怖くなる。
失って初めてその大きさに気づいたりすることもある。
しかし、失う前に気づかなければ半端ない喪失感に襲われる。
心が抉られる騒ぎではなく、普通に立ってはいられなくなる。
心にガードを張って、自分に嘘を付かなければ生きて行けなくなる。
そうなってしまうのが怖いから、私の場合は醜さを晒してまで自分に正直であろうとする。
私の欠点は、辛い時に泣けないこと。
どうも強がってしまいがちだ。
ただ私を愛してくれる人を失うくらいなら、ぶっちゃけ泣いた方がマシ。
強がりは幸福を逃がすと思うから。
とある人からこのようなことを言われ、考えてしまった。
「蓮ちゃんは、単にかまってちゃんになっている」
違う、違う、そうじゃないと慌てて言い訳してみたけど、もしかしたらそうなのかも知れない。
でもさ、知らないところで病まれるより、目の前で泣いた方が良くね?
そりゃ、構って欲しいさ。
四六時中、耳にタコができるくらい大好きだと言われたい。
私ってそういう女。
そこまでしてもらってようやく相手のことが見えてきて安心できるタイプ。
何が欲しいって、愛されている実感なんだと思う。
これ、書きながら思うけど、相当面倒臭い女だよね?
でも闇から抜け出すためには正直になる以外に術はない。
カッコ悪い姿を晒して、それでも愛していると言ってもらえたら救われるって話。
そりゃ、構ってくれてなんぼの世界。
構ってくれないのは論外だ。
何故かって、私はとことん寂しがり屋だからだ。
構ってくれる人が好きと言っても過言ではない。
ただその関係が、依存になってはならない。
かといって、私はこの世に二人だけという世界観を求めている。
この人がいればそれでいいと思えるようならベスト。
確かに仕事のことで焦りを感じる年齢ではある。
天の指し示し通り、一人になる強さが後押しして一気に仕事運を上昇させるのもアリ。
ところがあいにく私はその強さを持ち合わせていないようだ。
呆れるほど愛されて、やっと平常心を保てる弱い生き物だと悟った。
中途半端でもダメ、ウザいくらい愛されていないとダメなんだと。
そんな自分に薄々気づいていながら、なかなか自分を認めることができなかった。
決断、決断と言いながら、その決断はなかなか下せなかった。
今回、闇の中に堕ちてしまって見えたものはただ一つ。
自分の弱さだった。
闇の中にも拘わらず、自分の弱さを見つけた私は「勝った」と思った。
そういうところが私らしいでしょう?
弱さを知る者しか、勝負できないからさ。