橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

パラドックスの繰り返し

クタクタで帰宅。

チキンナゲットと煮卵を食べて、赤ワインを飲んでいる。

大して忙しくもなかったはずなのだが、バタクソに疲れた。

たぶん気疲れなのだろう。

覚えるべきこともまだまだ覚えきれていない。

いい加減にそろそろ全部覚えてもらわないと任せられないから困ると叱られた。

ただ、私はお年寄りやスタッフ並びに全従業員とコミュニケーションを取ることには長けていると思っている。

臆することなく堂々と話せるし、盛り上げることもできる。

そういう意味ではよくやっていると思うのだが、求められるハードルは高い。

九月はあまりシフトが入らなかった。

私がまだまだ半人前のこともある。

ところが十月は申し分のないシフトを入れてもらうことができた。

密度の濃い三ヶ月だったなぁ。

勝負はこれから、気を引き締めないと。

仕事から帰ってきてパソコンの前に座ると、気持ちが引き締まる。

さて、今日も書くか。

 

 

被害妄想が半端なかった私が、疑ってしまった相手がいる。

確かに叱られたが、私を責めなかった。

そればかりではない、私のことを「繊細」と言ってくれた。

そのことがとても嬉しかったと同時に、心から安堵した。

え?私のこと許してくれるの?みたいな。

もし私が逆の立場だったら怒り狂っているかも知れない。

だから感謝の気持ちでいっぱいだ。

そして疑ってしまうことが、如何に罪深いかを思い知った。

全ての人を信じるのは不可能だが、愛する人のことは信じられるはずだ。

それなのにどうして信じることができなかったのだろうか。

その原因が一つわかった。

たぶん好きすぎたのではないだろうか?

好きすぎるがゆえ、寂しくなって疑ってしまったのだと思う。

好きじゃなかったら、疑いの余地もないだろうに。

こうして信頼関係は育まれて行くのだなと思う。

今更そんなことに気づいたのか?

人生はパラドックスの繰り返しである。

一見矛盾して見えることが実は一致していたというようなこと。

その繰り返し。

つまり、私の強さも弱さもパラドックス

強いようで弱い、弱いようで強い。

そうやって繰り返されているのだと思っている。

実は『パラドックス』については友達から教えてもらったのだ。

それが私の中では合致した。

私の中の強さも弱さも繰り返されるものであり、それは決して特別なことではないということ。

表裏一体と言えば、もっと分かり易いかも知れない。

強くなったり、弱くなったり。

一見矛盾していて相反するもののようで、紙一重ということだ。

強さ逞しさと脆さ儚さを兼ね備えているから尚、美しく見える場合もあるだろう。

 

 

島倉千代子の『人生いろいろ』を聴いている。

そうなんだよな、人生も男も女もいろいろなんだよな。

愛されることを望むより愛するとはよく聞く話。

だけどそれが腑に落ちないのは私だけだろうか?

愛とは許すことならまだ納得が行く。

どうも自分から愛するって云うのは強がりに思えてならない。

それで幸せになっている人を見たことがないので説得力が無いのかも知れない。

貪欲に、愛されたいと願っている人の方が私は人間臭くて好きだ。

確かに過剰欲求はダメだが、大勢を敵に回しても、私は過剰に相手の愛を求めると思う。

それは、私が相手以上に相手のことを愛しているからに他ならない。

つまり、愛されるより愛するというのは当たり前すぎるのだ。

なんだか恋愛談義みたいになっているが、これは愛のお話。

LOVE&PEACEからは切っても切り離せない話。

だから、今日くらいは付き合ってくれよ!

さっきも言った通り、パラドックスの繰り返し。

私は自分が話したいことを話している。

「人前」だとわかった上でだ。

幾つかのご意見の中にこういうものがあった。

やはり、弱さをさらけ出せる蓮さんは強いんだとね。

これもまた、パラドックスの繰り返し。