仕事が終わってから、北千住で父さんと酒を飲んできた。
今年で七十一歳になる父さんは、少々若返ったように見えた。
黒ぶちメガネがアクセントになっていたようだ。
とてもじゃないが、七十一歳には見えなかった。
まだ六十五歳くらいの印象だ。
父さんと飲んでどうだったかという報告がしたくてパソコンに向かっている。
北千住の刺身居酒屋は、まぁまぁだった。
すこぶる美味しいわけではなかったが、決して不味くはなかった。
生ビールを一杯ずつやっつけた頃、父さんが重たい口を開いた。
「お前が書いた『破壊から再生へ』という本はノンフィクションなのか?」
「え?父さん読んでくれたの?」
父さんは日本酒をチビチビやりながら、目を合わせずこう言った。
「読んだよ、母さんは読んでいないけど」
自然の流れである。
娘が書いた本を読まない方が不自然のような気がする。
父さんは私にこう言った。
「母さんがお前に言い続けたことも事実なんだな?」
え?父さん知らなかったの?そう思ったが私は応えた。
「事実だよ」
父さんはそれを受けてこう応えた。
「それはとてもショッキングだよな。お前を産まなければ父さんと離婚できたって云うのは、父さんがダメ男だったみたいじゃないか。ましてや、子供に言うことじゃないよな」
「そうでしょう、でもね、母さんは父さんをダメ男とは思っていないよ」
「母さんはお前を産んで後悔しているってことだよな?」
「そうみたい。先日箱根の温泉に行った時も言ってたから」
父さんはやれやれという顔をして、メニュー表を見た。
話を逸らしたかったのだろう。
そして、あん肝と秋田の日本酒を頼んで、再び私の方を見た。
だから私は思い切って訊いてみた。
「父さん、『破壊から再生へ』面白かったでしょう?」
「あぁ、家族のことが赤裸々に書いてあるというよりは、お前の心理描写だな。最後まで読めばよくわかったよ。心の居場所が無かったから富山や東京を転々としていたんだな」
「…、そうだね」
父さんには伝わったんだなと思った。
読んでもわからなかったと言われるよりも、読んでくれたことによって私の「哀しみ」が伝わって良かったなと思った。
一冊の本を通じて、ずっと伝えたかった想いを父さんに伝えられただけでいいじゃないか。
父さんも『破壊から再生へ』を読んで、想ったことが多々あるみたいだ。
私の半生について考えてくれただけでも、私は嬉しい。
それから刺身居酒屋を出てコンビニへ寄った後、焼鳥屋へ入った。
ささみ串がなかったのが残念だが、レバーは美味しかった。
男梅サワーを一杯飲んだところでお開きとなった。
帰り道、父さんは北千住駅まで送ってくれた。
帰宅したら、二十時半過ぎだった。
若干お開きが早かったと思うが、約二時間程度でなんだか満たされたように感じる。
母さんとは犬猿の仲である私だが、父さんとは一生の付き合いでいたい。
実は子供の頃は父さんとも色々あって、私は父さんを避けていた。
そのことについてもう今更父さんを責めてはいない。
責めていないというより諦めているのだ。
いや、許す以外の選択肢を私は持ち合わせていない。
恐らく父さんには悪気はないはずだ。
もしかしたら、もう覚えていないかも知れない。
いずれにせよ、私は許すことにした。
これも、所謂「愛」の形。
父さんは私のことが好きすぎたのかも知れない。
そう考えるしかないだろう。
最近ちょくちょく言っているように、誰かを好きになりすぎた時、人間は壊れることがある。
「男と女」に限ったことではない。
親子でも友達でも同僚でもある。
そんな時、あまりにも好きすぎて本来の自分を失うこともあるだろう。
だから、若かりし頃の父さんは、暴走してしまっていたのかも知れない。
父さんは後一体何年生きてくれるのだろうか。
いつまで一緒に酒が飲めるだろうか。