橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

時代を背負う覚悟

雨の中新宿へ行ってきた。

随分と久し振りに新宿へ行ったような気がする。

我が家からは決して近くはない新宿だが、それなりに思い入れはある。

やはりこうして徐々に都内からは遠ざかって行くのだろうなと思った。

埼玉県在住の私は、これからどこを拠点に生きて行くのだろうか。

 

 

帰りの電車の中で「結果」について考えていた。

私の場合は過程よりも結果にこだわる節がある。

勿論、努力したとか頑張ったとか、その類のことは重要である。

しかしどんな本をどれだけの人に読んでもらったかが一番重要なことのように思う。

つまり、作品とは結果である。

結果を残せる人にのみ、チャンスは訪れるような気がしてならない。

私は『破壊から再生へ』と『ロックンローラー』という二つの作品を結果として残した。

どちらも好評で、読者は増え続けている。

それが結果だ。

もち吉の願い』は、新人賞の発表以降に発表する作品となる。

それもあって、『もち吉の願い』が爆発すれば、自ずと過去作も注目されることになるはずだ。

橋岡蓮の作品は、私には関係がないと思っている人も稀にいるかも知れない。

例えば『ロックンローラー』は、音楽に精通していない人にこそ読んでもらいたい内容である。

私の作品に共通しているのは、弱さと醜さ。

それが如何に美しいものであるかを描いている。

 

 

それはともあれ、結果が全てという話だ。

フォロワーが何人いるとかそんな下らないことは私は気にしない。

やはり、どれだけの需要があるかどうかだと思っている。

勿論文学作品などは、数字では結果が見られない。

下らない本が山ほど蔓延っている世の中だからだ。

売れた部数ではない、どれだけの人がリスペクトしてくれたかが問われるのではないか?

スポーツなら勝ち負け、芸術なら作品の質。

もうね、これは揺るぎない結果主義なのだ。

サッカーに於いて、楽しい試合だったが負けた、なんてことは許されないはずだ。

制作過程を楽しんだかどうかなんてどうでもいい。

いい作品を生み出し、世に送り出してなんぼの世界。

そのためには金も必要だし、労力もかかる。

もっと言うならば、私などはもっと評価されるべきだと自負している。

結果にこだわり抜く私としては「想い」をとにかく形にしたくて活動していると言っても過言ではない。

金を貯めて自分で何百冊も印刷して売るということは、誰にでもできるようでできないこと。

更にもっと言うならば、私みたいな人間こそ評価されて人々に希望を見せたっていいではないか。

ここまで言えちゃうということは、よほど調子が上がってきた証拠。

もっと言え!もっと言え!

自分の部屋だ、誰のことも構わずぶちまけろ!!

今年の十二月でまた一つ年齢を重ねる私だが、四十二歳という物書きとしては絶妙な年齢で、チャンスだけを待っていた女。

これからの時代に橋岡蓮なくして歴史が作られるのか?って話。

センセーショナルを巻き起こせる自信がある。

満を持すまで、私はとことん待ったぞ。

気力も体力も、ちょうど脂が乗っている「今」こそ活躍するべき時なのではないか。

本来なら介護職をやっている暇もないくらい忙しくなってもおかしくはない。

時代は私を求めている。

恋愛など強気に行けないことも多々あるが、とかく作品のこととなったら熱くなれる。

勿論、作家先生には敵わない。

いや、本当に敵わないのか?

勢いとエネルギーだけで言ったら、負けないのではないか。

ここまで言えるのだったら、先を憂うことなどないはずだ。

自分をとことん信じて覚悟を決める。

時代を背負う覚悟だ。

一寸の曇りもない確信を抱いた者にのみ、天は微笑むのかも知れない。

疑いの余地なんて持てないという人が、勝利を掴む。

強気な発言で以て、連勤を乗り越えるぞ!