土砂降りの中、利用者さんの送迎をし、ずぶ濡れになって帰ってきた。
コンビニに寄り、チキンとシウマイとトリスハイボールを買って帰ってきた。
帰宅して即行着替えて、風呂に入る前にこれを書いている。
バックで流しているのは「タイマーズ」である。
何でもアリのような気がしてくる。
いや、実際に何でもアリなのだ。
そして歌詞だろ。
私も令和の清志郎さんになりたいよ。
作風なんて変えないぞ!
介護職に出会ってから益々強気。
生活は保障されたようなもんだから、売れるために作風を変える必要はない。
呆気に取られるほど見事に私が言ってきたこと全て形にしてやる。
待ってろよ!
ところで、天才とは努力する凡才のことである。
だとしたら、私のことである。
しかし、一体何年続けりゃいいんだよ、みたいなところはある。
天が私に書くことを与えたのが三十一歳の時である。
それからブランクはあったものの、約十年間ひたすら書き続けていることになる。
長いよ!
まぁ、世の中には三十年、四十年と続けている人もいる。
ただ、私としては培ってきたセンスみたいなものも影響しているように思う。
元々持ち合せていない、培ってきていない人は、いくら努力をしてもダメなものはダメなんだと思っている。
天才とは言い訳をしない人である。
できない理由を探さない人である。
それは「努力」というものに直結している。
例えば、私より文章力があり、カリスマ性のある人が、私と同じことをしたら百パーセント成功すると思う。
私と同じことをしているのに成功しない人は、文章力かカリスマ性のどちらかが欠けているのだ。
では私がなかなか成功できないのは、時期が来ないからだ。
それを待っている。
恐らく来年の秋には、答えが出るだろう。
私は言い訳などしない。
できない理由など探さない。
やれる!私はやれる!
その信念のみである。
努力できないヤツは、ルーティンという言葉の意味を解っていない。
解っていてもできないヤツは努力しているとは言えない。
私は間違っていないだろうという「確信」が必要だと思う。
思い込みとはわけが違う。
思い込みと確信の違いは歴然である。
思い込みとは独りよがりなのに対し、確信とは周りをも巻き込むくらいの説得力があるものだ。
自分に確信が持てて初めて道が開けるのではないか。
だから、まずは自分を信じることから始めなければならないのである。
私の場合は努力はしているが、勉強など大してしていない。
しかし、日々書くことは一番の勉強になっていると思っている。
難しい本ばかり読んでいても、やはり人生経験のないヤツはダメ。
何故なら、感性で書くことができないからだ。
やはり社会の中で実践を積むことは極めて重要だと思っている。
雨の中、雪の中、寒さの中、暑さの中身を粉にして働いたことがないヤツの言葉なんて誰が聴く?
恋愛の「れ」の字もしたことがない人の本を誰が読む?
そういうことだ。
東京で警備員として働いていた頃、涙が出るほど虚しかった。
しかし、今となってはあの日あの時の経験が確実に今に繋がっていると自負できる。
だから子育てもしたことがない私に介護職ができるのだ。
そんでもって、ホワイトカラーの経験もあるからこそ「オフィス」や「企業」や「組織」の意味もわかるのさ。
元カレの婆ちゃんがいつもこう言っていた。
「若い時の苦労は買ってでもしろ!」
それを私はこう解釈した。
若い時から高給取りになってはならない。
安月給で、節約や苦労を学べばいいのだと。
その信念があったからこそ今の私がいて、ようやく遠くに光が見えるようになってきた。
もっと言うならば、人々が将来を楽しみにしてくれるまでになったということだ。
天才とは努力する凡才のことだからさ。