nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

いい人を見抜く

冷たい雨が降り注ぐ中、イオンに寄って帰ってきた。

あまりにも寒くてタクシーを待ったのだが、来るはずもなく。

ワンメーターで帰れる距離とはいえ横着しようと思った罰なのか、待てど暮らせどタクシーは来なかった。

仕方がないのでずぶ濡れになって帰ってきた。

あぁ、翌日、翌々日と何を着ればいいのやら。

イオンでは、サーモンの刺身とラム肉を買った。

勿論どちらも外国産のものである。

たしかサーモンはノルウェー産で、ラム肉はオーストラリア産かな?

腹一杯になったところで、パソコンに向かっている。

ラム肉を買った理由は、疲労回復に繋がるかと思ったからだ。

効果は翌日になってみないとわかるまい。

今は、単純に食べ過ぎて胃もたれしている。

 

 

どうやら土日は暑くなるようだ。

着る物がコロコロ変わるので困っている。

我がリハビリセンターでは、入浴介助と利用者さんの送迎がある。

雨に降られると、私などはずぶ濡れになってしまうのだ。

携帯電話の天気予報によると、明日から三日間くらいは雨に降られずに済みそうだ。

と云うのも、しばらくずっと予定がビッシリ入っている。

乗り越えなければならない。

 

 

ところでいい人を見抜ける人と、甘えてしまう人とに別れるような気がする。

見抜ける人というのは、その人もいい人であるケース、もしくは、素直な人だと思う。

はたまた、見抜けないで甘えてしまう人とは、いい人に「つけ込む」という術を持っている謂わば小ズルい人だ。

いい人を見抜ける人、感謝できる人には惜しみなくいいことをしてあげたくなる。

利用される心配もなければ、痛い目に遭うこともなく、信頼できるからだ。

しかし、甘えてしまう人は悪気はないにせよ、ちょっと警戒してしまう。

いい人を見抜ける人は、根がいい人である。

そういう人は大概、何度も何度も騙された経験を持っている。

いい人ならではの宿命かも知れない。

信頼される一方で、騙されることもあるわけだ。

どんなに騙されても、いい人には人望がある。

そして魅力もある。

人を利用することしかできない小ズルい人とはわけが違う。

そういう人は多かれ少なかれ、魅力がないものだ。

私は決して騙したりしない。

むしろ、いい人の良い部分を買い、裏切られてもおかしくないくらいの愛情を降り注ぐ。

きっと私は、誰かに尽くすことが好きなのかも知れない。

ただ、私には欠点がある。

「いい人」と「感じの良い人」を間違えてしまう。

初対面からいきなり感じの良い人は、本来ならあまりいない。

どちらともなく緊張しているものだ。

ところが、詐欺師ときたらそうでもない。

最初から「あ、ど~も!!!」てな感じで親し気に歩み寄る。

私はこの五年間くらいで、それらを学んだように思う。

散々痛い目にも遭ったし、流石に学習したはずだ。

それなのに尚、騙されることがある。

信頼してベラベラと所かまわず喋ってしまうことなど多々。

後から気づいて、急に距離を置いたりするので恨まれることもある。

ただし、正直な胸の内を話したまでなので、痛くも痒くもないというのが本音ではある。

 

 

いい人には何でもしてあげたくなる。

その点、小ズルい人には何もしなくなる。

いい人だと思った人に騙されたら、それまでだったなという話。

己の見る目のなさを嘆けばいい。

逆も然り、小ズルい人に騙されたら、全く学習能力のない自分を責めればいい。

結局、私は誰かに気持ちの良いことをするのが好きなんだろう。

そして、感謝されるされない関係なく喜んでもらいたいのだろう。

いい人振りたいわけではない。

ただ、いい人には感謝の気持ちでいっぱいなのだ。

こちらもいい気分にさせてもらっているから。

ただそれだけのことのように思う。

小ズルい人はやがて消えていくことを祈っている。

世の中の厄介者でしかないからさ。